nalacarte

奈良のアラカルト=ナラカルトは奈良の観察記録です。

佐紀丘陵 古墳の日なた/大小あわせて60あまりの古墳。まるで原生の森。記紀の世界がじわりと広がります。

f:id:nalacarte:20171114152903j:plain

磐之媛(いわのひめ)や日葉酢媛(ひばすひめ)など女性の陵が多い所ですが、200メートルを超える大きな陵の連なりを見ているといつしか墓であることを忘れてしまいます。手つかずの自然は原生の森とかわらぬ植生を見せてくれます。巨大に育ったシイやカシの木が風に揺れてゆったりとしている姿は壮観です。

f:id:nalacarte:20171114152944j:plain

f:id:nalacarte:20171114153023j:plain

f:id:nalacarte:20171114153057j:plain

女性の御陵が多いせいでしょうか、広がる風景はおだやかでしっとりしています。町に隣接しているのに喧騒も届かず、そこに棲む鳥類や昆虫類はのびのびとしています。越冬するトンボもいるそうですが、そのこと自体とても貴重な現象であると散策中にマニアの方に教えていただきました。

f:id:nalacarte:20171114153130j:plain

f:id:nalacarte:20171114153202j:plain

f:id:nalacarte:20171114153244j:plain

f:id:nalacarte:20171114153318j:plain

日本書紀に日葉酢媛の陵に埴輪を配置するという話があるそうです。そのことからこの陵墓に埴輪の起源説もあったようですが、真意はともかく、こうした古代にまつわる話を折に触れて聞くことができるのもこの散歩道の味わいです。

気分転換に歩き始めたちょっとした散策も、気がつけば記紀のかもす空間の広がりの中で古代史を探索する小さな旅に出ていました。

f:id:nalacarte:20171114153351j:plain

f:id:nalacarte:20171114153426j:plain

f:id:nalacarte:20171114153457j:plain

春日山原生林/木洩れ日と歩く

f:id:nalacarte:20171108182413j:plain

太陽が真上にあっても光はかすかに。なんとはなしに道の上で陽光は遠慮がちにしています。沢からさらさらと流れる水の音。そよ風に揺れる葉の影絵。なにもかも、ほどよく、さっぱり、戯れています。

f:id:nalacarte:20171108182639j:plain

f:id:nalacarte:20171108182714j:plain

f:id:nalacarte:20171108182751j:plain

f:id:nalacarte:20171108182822j:plain

f:id:nalacarte:20171108182852j:plain

若草山方面から入山するもよし、春日大社あたりから歩きだすのもよし。つい今しがたまでの町の喧騒はいきなり遮断され、深い森の中に溶けこんでしまいます。紛う方なき原生林。あちこちで木洩れ日が揺れていて、うっそうとした山にありがちな単調さもありません。目にも爽やか、からだばかりか心まで浄化していきます。

f:id:nalacarte:20171108182925j:plain

f:id:nalacarte:20171108183008j:plain

f:id:nalacarte:20171108183037j:plain

f:id:nalacarte:20171108183109j:plain

f:id:nalacarte:20171108183139j:plain

山辺の道 真ん中辺りをぶらぶらと/日本最古の道。古くて新しい小道が南北にゆるやかに刻まれています。

f:id:nalacarte:20171101141614j:plain

古事記にも明記されている山辺の道。古くから要衝を結ぶ道として栄えたこともあり、黎明期の日本のこころがいまなお連なっているように見えます。北には最古の神社と言われもする石上神宮があり、南には神宿る山と呼ばれる三輪山がひかえています。その間には古代から連綿と続く田畑が広がります。米作はもとより、いまでも刀根早生の柿やミカンなどの果実類、あるいは多品種の大和野菜などをそこここで見かけます。

f:id:nalacarte:20171101141647j:plain

f:id:nalacarte:20171101141713j:plain

f:id:nalacarte:20171101141747j:plain

f:id:nalacarte:20171101141821j:plain

古代の天皇や貴族をはじめ、柿本人麻呂をはじめとする文人たちも行き交いました。眼下に広がる盆地の向こうには二上山生駒山が見えています。この眺望の良さも手伝って、この辺りには数え切れないほどの古墳がひしめいています。小山のようなものから巨大古墳の崇神天皇陵のようなものまで種々さまざまです。

f:id:nalacarte:20171101141858j:plain

f:id:nalacarte:20171101141922j:plain

f:id:nalacarte:20171101141957j:plain

文化遺産の間を縫って小道が続きますが、いまとなっては格好のハイキングコースです。縄文を彷彿とさせる古代を歩くような道もあり、農村の豊かさを味わわせてくれる古道もあります。なんど歩いてもまったく飽きることがありません。

f:id:nalacarte:20171101142033j:plain

f:id:nalacarte:20171101142058j:plain

f:id:nalacarte:20171101142125j:plain

東大寺 公慶道/13歳の公慶は雨ざらしの大仏さまを見て忍びない思いをしました。そして固く決意したのです。

f:id:nalacarte:20171025130710j:plain

大仏殿の北、正倉院の東に龍松院はあります。江戸時代の初め、幼き公慶が入寺僧となった塔頭です。ここから大仏さまの修復と大仏殿の再建のために勧進所に通い続けました。時間を惜しんだのでしょう、ショートカットした小道が講堂跡の脇に残っています。

f:id:nalacarte:20171025130749j:plain

f:id:nalacarte:20171025130822j:plain

f:id:nalacarte:20171025130859j:plain

大仏殿の再建は尋常な手段ではうまくいきません。並大抵の苦労ではなかったことでしょう。血のにじむような努力があってこその偉業でした。58歳で入定するまで闘いぬきました。消え入りそうな小道なのに覚悟が貫いているようです。

f:id:nalacarte:20171025130935j:plain

f:id:nalacarte:20171025131009j:plain

f:id:nalacarte:20171025131042j:plain

公慶道の周辺は鬱蒼としています。日本中をまわって大木を調達することの難儀さを誰よりも知っていた公慶。また、いついかなる時に大木が必要になるやも知れぬと気がかりになり、境内のあちこちにせっせと植樹したとの言い伝えがあります。

f:id:nalacarte:20171025131153j:plain

f:id:nalacarte:20171025131225j:plain

f:id:nalacarte:20171025131254j:plain

f:id:nalacarte:20171025131322j:plain

慈光院(2)茶庭の風景/ありきたりの図面を引き裂いてしまったか。小さな茶庭も、天に連なる茶庭も設えてあります。

f:id:nalacarte:20171011125716j:plain

禅によって茶道は完成しました。禅を会得した者だけが茶の湯の肝心を飲み干すことができると言います。ただ飲むばかりなりという利休のことばがありますが、まさしく禅の世界観です。片桐石州は禅のことばを身につけていたのでしょう。作庭に窮屈な思考がありませんでした。

f:id:nalacarte:20171011125755j:plain

f:id:nalacarte:20171011125824j:plain

f:id:nalacarte:20171011125900j:plain

f:id:nalacarte:20171011125952j:plain

木を植えただけでは庭になりません。石を置いても禅の庭になるわけではありません。石州は取り決めのうるさい茶道にある常識的なセオリーを眼中に留めていなかったようです。信じたのは禅のことばのみ。そこからイメージされる庭を素直に描ききったのでしょう。

f:id:nalacarte:20171011130025j:plain

f:id:nalacarte:20171011130058j:plain

f:id:nalacarte:20171011130136j:plain

f:id:nalacarte:20171011130215j:plain

柱と柱のあいだから見える庭に緊張感が生まれています。窓枠という額縁が一枚の絵に仕立て上げています。陰影の効果を取り込み、人間の動きを計算して、その大きさや色が決められていました。禅はいつも自然とともにありました。そのことを思い起こさせてくれる風景が広がっていました。

f:id:nalacarte:20171011130249j:plain

f:id:nalacarte:20171011130320j:plain

慈光院(1)臨済宗大徳寺派/土木普請奉行として知恩院の修復などを手がけた片桐石州の創建。端正な顔立ちです。

 

f:id:nalacarte:20171011124307j:plain

茶人としても名をなした片桐石州大徳寺の名僧に参禅した大名だけに京都の文化に多大な影響を受けています。大徳寺といえば茶道を抜きにして語ることはできません。小堀遠州とも交流があったようですから、茶の湯の世界にどっぷりとつかっていた姿が想像できます。

f:id:nalacarte:20171011124342j:plain

f:id:nalacarte:20171011124416j:plain

土木普請奉行となれば造営のなんたるかに相当くわしかったはずです。大徳寺の塔頭を初めとして完成度の高い建造物をいろいろ見てきたことでしょう。その経緯があったからこそ、慈光院は目を見張るものに仕上がったのです。禅と茶事のありようを形にしたような佇まいです。

f:id:nalacarte:20171011124502j:plain

f:id:nalacarte:20171011124538j:plain

f:id:nalacarte:20171011124620j:plain

f:id:nalacarte:20171011124700j:plain

茶道といえば堅苦しさに辟易することがありますが、片桐石州の茶は厳格さと柔軟さが折り合いをつけています。作庭を見るにつけ、建造を見るにつけ、なにものにも囚われた跡がありません。作法や理屈を感じさせない茶の世界がありました。

f:id:nalacarte:20171011124741j:plain

f:id:nalacarte:20171011124821j:plain

f:id:nalacarte:20171011124849j:plain

f:id:nalacarte:20171011124920j:plain

石州はひとりの大名に過ぎませんでしたが、徳川四代将軍の家綱の師匠として茶道を指導するまでになっていました。

f:id:nalacarte:20171011125000j:plain

f:id:nalacarte:20171011125031j:plain

法輪寺/三重塔 幸田文の勧進があってこその再建です。江戸っ子が斑鳩三塔の景観を取り戻しました。

f:id:nalacarte:20171002132811j:plain

幸田文は、三重塔(落雷によって焼失)再建に奔走する失意の住職と東京の出版社で運命的に出会いました。聞くうち、持ち前のおせっかいに火がつき勧進を決意しました。65歳から75歳になるまでの老人のふんばりでした。出せるものはすべてだし、着物がすり切れるほど日本を回り勧進したと言います。

痛快。感服の至りです。

f:id:nalacarte:20171002132847j:plain

f:id:nalacarte:20171002132920j:plain

f:id:nalacarte:20171002132951j:plain

f:id:nalacarte:20171002133021j:plain

文は幸田露伴の次女で、父から厳格な教育を受けて育ったようです。露伴は谷中の五重塔を題材にした小説を上梓しましたが、この五重塔が焼亡する姿を文はじっさいに見ています。その時の無残な光景が法輪寺の三重塔に重なったのでしょう。見て見ぬふりをできなかった。父親譲りのいさぎよさが文のこころを奪いたたせたのです。

f:id:nalacarte:20171002133055j:plain

f:id:nalacarte:20171002133127j:plain

「父は紙の上で文字の塔を組み立てた。私は実際に建てる総檜の塔を夢見た」文はやり遂げました。国家事業クラスの再建を65歳過ぎのおんなが全てをなげうって取り戻したのです。

宮大工の西岡常一たちが現場を仕切りました。飛鳥時代の工法で作り直しました。そして斑鳩の景観が復元されたのです。

f:id:nalacarte:20171002133201j:plain

f:id:nalacarte:20171002133231j:plain

Copyright(c)2016 Nalacarte.All Rights Reserved.