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奈良のアラカルト=ナラカルトは奈良の観察記録です。

東大寺 かぎろひ/明け方、東の空からうっすらと明るく射してくる光。それを陽炎<かぎろひ>と言います。

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東大寺となると参拝客や物見遊山の観光客でごった返していますが、初冬の東大寺の明け方は人っ子一人いない静かな風景が広がります。これぞ古代から変わらぬ景色かと思えるほどに真に迫ってくる気分です。曙光の清らかさはなににも代えがたい。震えるほどの寒さが足下から忍び寄ってきますが、それでも身体の冷えを補って余りある気持ちの温かさが湧いてきます。

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古代の人は朝の神秘的な光を見てなにを思ったのでしょうか。東大寺の建立に携わった聖武天皇行基さんも、あるいはここで授戒をした最澄空海もこの朝の光を浴びていたのです。そう思うだけで心が清められるような気分です。合掌。

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長谷寺 貴族の衣擦れ/平安時代の貴族が観音さまに帰依してから大いに賑わいました。山岳寺院というより巨大な山荘のようです。

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貴族的な匂いが立ちこめていて、霊場というよりも、宮廷の別荘が山のなかに造営されたという雰囲気を持っています。遠くに見える山の稜線も吹きわたる風も優雅に感じられて、平安貴族がそぞろ歩いた参道も散策路という方がにあっています。紫式部清少納言も参詣。鎮護国家のみならず恋愛成就もお願いできました。観音信仰が流行する由縁です。顛末は源氏物語枕草子などにつづられ、やがて民衆の巡礼が始まり験を分かちあいました!

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極楽往生するために西国三十三所霊場を巡礼したといいます。現世で犯した罪も消してくれます。紫式部はなにをお願いしたのか、清少納言はどんな罪の許しを得たのか。あらぬ事を思い描きながら歩いていると広大な領地もさして大きく感じません。

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東大寺 晩秋/木の葉はひらりひらりと舞いながら音もなく足もとへ。大仏殿、講堂跡、大仏池辺り、多彩な色模様です。

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黄金色の銀杏も、朱色と紅のモミジの葉や桜の葉も、宗達の絵の具のたらしこみのよう。それでも奈良でもっとも美しく映えているのはナンキンハゼ。赤や黄の色が幾重にも重なって自然の織りなす微妙な色調が一本の木をバランスよく彩っています。繁殖力も強く、あっという間に大きくなってしまう木です。庭に生えると若木のうちに刈り取られてしまいますが、このときばかりは近くまで寄って誰しもうっとりと眺めています。

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濃淡色とりどりの黄、赤、紅の葉が野山ばかりではなく奈良公園一帯を彩っています。ハゼ、銀杏、ナナカマド、楓、桜、柿などなど。どの木も枝ぶりは華やかで昔日の貴族たちを虜にした趣はいまも変わらずここに。ああきれいだなと感嘆するばかりです。

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大和八木/東西に1400年前の横大路。南北に1300年前の下ツ道。古代の道と古代の道が現代の道として交差しています。

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この国最古の幹線道路が大和八木を貫いています。交差点近くの町並みは真空地帯のようです。1300年前の都だった平城宮の奈良ともなにかが違う。横大路も、下ツ道と呼ばれる中街道も、この辺りに限っていえば道を拡張されることがなく、いまもって現役で使われています。厩戸皇子も、大陸からの渡来人も、歩いていたはず。交差点にはあわせて2700年分の重みがありました。

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堺に通じる竹之内街道と繋がっている横大路は、大陸の文明と文化を奈良盆地に運び入れた道です。都を造営する技術も、大伽藍を建立する知恵も、漢字という文字文化も、すべてはこの道を通して運ばれてきたのです。大動脈というにふさわしい道がここを走っているのです。

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中街道は、北は山城まで通じ、南は吉野と紀伊に繋がっています。横大路は近世になると伊勢街道となり、大勢の参詣巡礼の客でごった返していたそうです。それらが交差する大和八木、賑わいいかばかりだったことか、想像に難くありません。交差点には高札場(掲示板)があり「札の辻」と呼ばれていたそうです。

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柳本 茶人有楽斎/戦国時代を生き抜いてきた織田有楽斎は運の強い男です。柳本から桜井一帯を家康よりもらい受けました。

 

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有楽斎は織田信長の弟。本能寺の変の後、美濃へ逃げ、その後は豊臣家の大阪城に入りました。冬の陣、夏の陣で大阪城は落ちてしまいますが有楽斎は直前に城を離れまたもや生き延びました。関ヶ原の戦いで武勲を立てていたこともあって徳川家康は有楽斎を特別にあつかいました。大阪城からの離脱に目をつぶるばかりか大和の三万石を分けあたえたのです。茶人として生きることにした有楽斎は一万石を茶の世界への原資にあてました。残りの二万石は選ばれた二人の子どもに等分に分けあたえました。そのうちの一つが柳本です。茶人有楽斎の子孫らしく落ち着いた町並みを造りあげました。

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有楽斎と家康は戦国の波にもまれて育った幼なじみでした。深い信頼関係が培われたようでした。時代に翻弄されましたが最後にはまたしても家康によって生き延びることができました。晩年は茶人として生きることを決意し、柳本と桜井一帯の管理運営はふたりの子どもの手にゆだねました。

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有楽斎の茶室「如庵」は国宝として残っていますが、この命名はクリスチャンネームの「ジョアン」から来ているとか。厳しい時代の複雑な社会に生き抜いたことが忍ばれます。有楽斎の茶は有楽斎自身によって形が整えられました。死と隣り合わせで生きた武士の別格の茶道です。子孫らにその血統が引き継がれています。柳本の町は端整な顔立ちをしています。

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奈良公園 秋を歩く/物見遊山に黄、赤、深紅の木の葉。濃淡さまざまでうっとり。天高く人も肥えて・・・!

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野分の風もおさまり、ぽかぽかとした小春日和の季節になりました。晴天に恵まれ紅葉もいよいよ。色とりどりの枝を差し交わしていて驚嘆するばかり。遠くの山も赤や黄色を折り重ねています。暖かい日が続くせいか、ちらほらと狂い咲きの花を見かけます。これを「帰り花」と言うそうです。ちなみに正倉院の曝涼の季節でもあります。いやはや。

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そよ風が吹くと、くるりくるりと舞い落ちるように木の葉が散ってきます。黄色の銀杏の葉も、朱色の柿の葉も、ふわっと枝を離れて音もなく。辺り一面に散り敷かれて枯葉の絨毯さながら。いよいよ秋が深まっていきます。

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桧原神社 山辺の道/桧原神社は元伊勢と言い、伊勢神宮に祭祀されているアマテラスはもともとここにおわしたとか。

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神々はさまざまなところへ降臨します。高木や巨石にはじまって家庭生活の道具にまで。木は神木となり、岩は磐座(いわくら)と呼ばれます。山を神のおわす場と見なし、山にあるすべてを神体とすることもあります。神は注連縄(しめなわ)や榊(さかき)によりつくともいいます。桧原神社はそうした古代信仰を彷彿とさせる場でした。ご神体は三輪山。三ツ鳥居をもって拝殿の正面としています。

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遠く二上山を望む位置におかれた注連縄も注連柱(しめばしら)も独特。素朴にして力強い。三ツ鳥居の注連縄には白い紙が飾られていますが、紙垂(しで)といって稲妻をかたどったものです。雷をもって邪悪を寄せつけない。そぎ落とされた形です。ここに佇んでいると日本の美のなんたるかを教わったような気持ちになります。

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