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nalacarte

奈良のアラカルト=ナラカルトは奈良の観察記録です。

正暦寺/神の酒は中世になって我らのもとへ。鎌倉時代にはじめて市井の人々の晩酌が始まりました。

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古代において酒は宗教や儀式と密接に結びついていました。信仰と関係なく、一人ぽつねんと一献かたむける習慣が生まれたのは鎌倉時代になってからです。栄枯盛衰は世の常というべきか、権力側の衰退がはじまると、権力者に付きしたがっていた酒造りの専門家に働き口がなくなり、結果として市井に下野してくることになります。それが切っ掛けでした。酒は庶民の側にぐんと近づいてきたのです。

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大寺院の手によって酒造りは始められました。持てる資本力や多勢の僧侶の人的資源がものをいったようです。となれば日本清酒発祥乃地の碑をもつ正暦寺はかなりの大きさを誇った寺院だったことをうかがわせます。いまでは山寺の雰囲気を持っていますが、残された参道の長さとそこに設えられた生垣や石積みの壮大さを見るにつけ、往時にいかに巨大な空間を占めていたのか想像に難くありません。

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寺院に伝承された技術があったからこそ、古代に神との交流に飲まれた酒が、人と人の交流において飲まれるようになりました。天平時代から仏教が徐々に庶民のものへと移行の道をたどりましたが、ひょっとすると軌を一にしているのかもしれません。となれば庶民の側に仏教を近づけた行基どのに乾杯、否、感謝です。

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宇陀松山(2)/古代、阿騎野と呼ばれた地。貴族の狩猟場です。男は獣を追い、女は薬草を摘む。薬園は名残です。

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宇陀にゆかりのある大手の薬品会社がいくつかあると聞きおよびました。もとはといえば葛粉の製造からはじまっています。山野に自生するマメ科の蔓の根から葛粉を作りますが、その根は漢方の葛根(かっこん)にもなるそうです。風邪薬としての葛根湯といえばいまでも人気があります。

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太った根から、美味なる葛の菓子もできれば、製法を変えれば解熱薬にもなる。こんなに役立つ植物が出てくれば、もっと探してみようというのは自然なこと。今では250に上る薬草が栽培されているとか。江戸時代に輸入された漢方薬は相当に高価だったようで、このことも国内産の誕生に拍車をかけたようです。

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江戸時代からの薬園が宇陀松山に残っています。知っているものもあれば、薬草と気がつかない雑草のようなものもたくさんありました。

葛粉が発端となって病を治癒させる薬が生まれたかと思うとなんだか愉快。薬屋に掲げられた時代がかった看板をいくつか目にしました。さもありなんと合点がいきました。

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宇陀松山(1)/そぞろ歩いてみれば、まるでキリコの絵の世界。謎めいた静寂感がありました。

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宇陀松山の旧市街に降り立ったそのとき、中枢神経系のなにかが機能しなくなってしまいました。すさまじく青い空と、乾ききった空気。目の前にはまさしくキリコの絵画と思われる世界が広がりあらわれていました。現実のはずなのに、現実と感じられない奇妙さがありました。不可思議な形而上の世界が広がっているのです。

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ジョルジュ・デ・キリコ。彼の描いた絵は形而上絵画とも呼ばれ、シュルレアリスムを誕生させる契機となりました。強い印象の残る絵画ですが、今このときの宇陀松山の町は、キリコの絵の前に立った時と同じ感触を抱かせました。ひょっとすると無駄なものをそぎ落とした町の造りがそう思わせるのかもしれません。

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往時には万葉びとが行き交いました。戦国時代になると織田信長がこの地域を押さえました。動乱が収束すると徳川幕府天領としました。いかに要衝であったことか。背後に吉野を控えた伊勢街道の町。吉野葛の製造や酒造りがさかんに行われていたそうです。どうりで立派な町屋が並んでいます。昔ながらの高尚な精神がひっそりと息づいているようでした。

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紀州和歌山 湯浅/蜜柑、金山寺味噌、醤油、熊野古道、紀伊国屋文左衛門、明恵上人。そして西方浄土。

奈良にとって熊野は特別な場所です。そしてその向こうの海に思いを馳せています。伊勢や那智がありますが湯浅を忘れるわけにはいきません。

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湯浅は熊野古道の中間で和歌山県海沿いの北部に位置します。山の斜面はほぼ蜜柑畑。有田みかんの産地です。もう一つの名産は金山寺味噌とそこから誕生することになった醤油です。鎌倉時代のこと。中国から帰った臨済宗の僧である覚心によって金山寺味噌の製法がもたらされました。水が醸造に適していたのです。あるとき偶然に桶の底の「たまり」を発見しました。醤油発祥の地として知られる湯浅のエピソードです。

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熊野古道の宿場町としても知られた湯浅。いまでも昔の面影を残して南北に通り抜けています。古代から信仰に深く関わった町です。鎌倉時代には華厳宗の中興の祖と言われる明恵上人が誕生しています。勢力のあった豪族の出ですが奈良と京都で仏教のなんたるかを学びます。ひとたび湯浅に戻り、近隣の白上山でさらなる修行と学問に励みます。この地での悟りがあってこその高山寺明恵上人となります。建礼門院や仏師の運慶と快慶も帰依しています。

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ここから蜜柑を江戸に届け、ついには材木商となり、財をなした紀伊国屋文左衛門も湯浅の出身です。いまでも出港した港が残っています。小さな町なのにどこかダイナミック。

ひょっとすると海がもたらすなにか特別のものがそうさせるのかも知れません。明恵上人然り。湯浅から見る海にはどこか惹きつけられるものがあります。じっと見つめていると遠くに西方浄土があるような気になります。そうか、明恵上人は毎日この海を見ていたのか。

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湯浅は古代の奈良の上皇や貴族を虜にしました。いまある熊野古道とは違うルートで吉野から入ってきたようです。信仰のためとはいえ厳しい旅です。どうしてそこまでと訝しく思いましたが、防波堤に立ち周囲を見渡してみると納得がいきました。洗われる気持ちがふつふつと湧き起こったことでしょう。

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東大寺 山陵祭/オープンエアのアカペラ。新緑に声明が響き渡ります。

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聖武祭の翌日のこと。東大寺一山の僧侶は佐保山御陵に向かいました。

聖武天皇が祀られています。深く頭を垂れ参拝する。声明が空に舞う。かくも荘厳な響きがあっただろうかと感慨深いものがありました。

声明声は陵の青青と茂った木々に向けられます。すべてに柔らかく、清楚な音色となって跳ね返ってきます。風薫る五月。眼に映るもの、耳に届くもの、すべてがさわやかでした。

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声明のあとに観音経が唱えられました。

青空の下で耳にした声明。僧侶らによるアカペラです。強い印象を残しました。

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聖武天皇の御陵に寄りそう古墳があります。光明皇后の陵です。1300年を経てもむつまじい。

藤原不比等の娘で、初めて豪族から立后したといわれています。聖武天皇からの信頼はあつく、天皇仏教に帰依したのも、東大寺の建立を決断したのも、光明皇后が促した結果であったと伝えられています。

聖武天皇崩御したのち遺品などを東大寺に収めましたが、それが正倉院となって東大寺の西の地にしっかりと残っています。

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相思相愛が東大寺の中心にあったとは気がつきませんでした。合掌。

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東大寺 聖武天皇祭/いかに、いかにと法要は進む。論議法要というもので掛け合いが行われていました。

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生前に天皇を譲位した聖武天皇はその当時としては思い切ったことをしました。出家し、天下の安泰を祈ることをなによりも優先させたといわれています。大仏さまが奈良に誕生したのもその結晶です。

鑑真を招聘したのも聖武天皇でした。日本に初めての戒壇院が設けられました。教理を学ぶことが天平時代の仏教の一端でしたが中心となったのは東大寺でした。

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読経と読経の合間に紙でできた色とりどりの花びらをぱっと撒く。散華。そこにいる者のすべての視点が花びらの舞いに集中します。渾然一体となるのです。供養という儀式。そこには演劇的空間が広がっていました。

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仏前に花と茶が供えられます。どうぞお花をいつくしみ、どうぞお茶を一服というところでしょうか。凜とした空気が和らぎます。献納がすむと僧侶の顔にもわずかな笑みが浮かびます。奉納が終了した瞬間のこと、静寂を蹴破るように鶯の鳴き声が響きました。

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佐紀/古墳を取りまく、その色合い、その深さ、その光。まるでラファエル前派の絵を見ているようです。

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デジャビュというべきか。どこかで見たことのあるような光と影が目に染みます。美しき水面にオフィーリア・・・。「ハムレット」の象徴的な一場面を描いたジョン・エヴァレット・ミレーの絵画がここに表出したようです。19世紀の英国の画家が求めた風景。神の創造した自然をありのままに描写しようとしました。どこか万葉の世界と似通ったものを想わせます。

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蠢動が古代びとにとっていかばかりであったことか。自然の働きは神の仕業だと受けとめていた人びとにとって、季節がめぐり来ることそのものが神からの大いなる贈り物だったといいます。誕生したばかりの小さな昆虫の初々しさや、新芽に匂う華やいだ気持ちを和歌にそそぎ込みました。生命の囁きに耳を傾けてこそのことでした。

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平城宮跡のすぐ北にある磐之媛命陵(いわのひめりょう)の初夏は格別です。睡蓮の葉が目ざめ、杜若が咲き始め、黄菖蒲も連なります。鳥たちは天高く舞っています。松葉海蘭(まつばうんらん)も静かに風に揺れています。蜜蜂がホバリングして蜜を吸っています。6月ともなれば睡蓮や河骨(こうほね)が花をつけ、淡い黄色と濃い黄色が混在して強い色合いの夏の情景を仕上げていることでしょう。

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自然の一隅にひそむ夏への装い。幕が上がる前の緊張と期待があるような小劇場の舞台がそこにありました。

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