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奈良のアラカルト=ナラカルトは奈良の観察記録です。

法隆寺/夢殿 斑鳩宮に住んだ聖徳太子。ここは難波と飛鳥のまんなか。軍事と交通の要衝でした。

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聖徳太子仏教に熱心であったことは誰しもが認めるところです。蘇我馬子とともに政治の混乱を収拾していきましたが、理念のなかに仏教の教えが取り込まれていました。四天王寺をはじめとする数々の寺院を建立したのもその現れでしょう。そのとき、この国の命運が決まったのかもしれません。

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聖徳太子の死後、斑鳩宮は荒廃したようです。見るに見かねた僧の行信が跡地に伽藍を創建しました。およそ100年後のことです。夢殿の誕生です。なにはともあれ仏教があったればこその造営でした。廻廊から眺めていると、ここに生活を営んでいた厩戸皇子が不意に現れてくるようです。

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1300年前の空気にそのまま取り囲まれているような気分になります。信貴山が変わらぬ姿で見守っていました。

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奈良少年刑務所/明治41年の赤煉瓦建築。西洋の様式を模倣。近代化した日本の象徴として世界に提示されました。

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日清、日露戦争勝利したものの、当時の日本は不平等条約のもと三等国の位置づけでした。そんな馬鹿なことがあるものかとの声が日増しに強くなっていきました。そこで一計を案じ、西洋の列強と対等に渡り合えることを誇示しようということになりました。法整備をはじめとしてやるべきことは多々ありましたが、具体的にこの監獄を世界に見せることで一流国であることを内外に示そうとしたのです。

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監獄の国際標準化が先進国の証とは意外な感じがしますがそれには訳がありました。中央の看守所から収容棟が放射状にのびていますが、このスタイルこそが「パナプティコン」と呼ばれる監獄のシステムで、中央からすべての独房を監視することができるようになった初めてのアイデアでした。このシステムを持っていたのは西洋でも一部の先進国でした。

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ナポレオン三世がパリを大改造しましたが、それがいまの放射状にのびたパリ市の姿です。まさにパナプティコンの考え方を取り入れたものです。敵の侵入をたやすく監視できるとともに味方の軍隊を効率よく配置できるといった構成です。理性に基づく理想主義都市。その近代性がこの奈良少年刑務所にも活かされたのです。

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奈良少年刑務所は老朽化しその長い役割を終えました。近いうちにホテルに改装され新しい姿として蘇ります。

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東大寺/梅雨晴れの朝 大仏殿裏手の木々を渡ってくる風は瑞々しい。行基も重源もこの空気を味わったに違いない。

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お水取りと言われる修二会では神名帳を読誦しますが、はじめに読み上げられるのは金峯山寺蔵王権現です。金峯山寺とは修験道の開祖と伝えられる役行者が創立した寺であり、蔵王権現とは吉野の山で修行中に感得した釈迦如来の化身です。

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行基や重源のみならず、別当になった空海も山岳修行で己の基礎を築いています。となると東大寺高野山ともどこかで繋がっていることになります。修験者のネットワークは仏教界の礎となって発展したのでしょう。

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東大寺の朝の散歩は山伏の足跡を追跡しているよう。裏山には緩みのない景色が広がっていました。

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佐紀 磐之媛命陵/モネの睡蓮とまがうばかりの風景。濠に幻想が満ちています。

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印象派の巨匠クロード・モネは、自邸の池に浮かぶ睡蓮の花をこよなく愛しました。庭そのものが最高傑作であると自負するほど花の池と水の池にぞっこん惚れていました。そして睡蓮をモチーフにして多彩に描いてみせました。浮世絵をこよなく愛したモネは、色彩ばかりか構図にも日本的な筆づかいを持ち込みました。いくつもの名作が誕生しました。

佐紀の磐之媛命陵の濠にモネの愛した池が描かれていました。睡蓮の葉がぎっしりと浮かび、白やピンクの花を咲かせています。ことばもなく、ただただ見つめるばかり。

ジヴェルニーの庭が現れたのです。

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斑鳩/尼門跡 中宮寺 尊皇攘夷を標榜した天誅組の伴林光平(侍講)と佐々木信重(侍医)が出入りしていました。

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斑鳩の隣町である安堵町。ここに安堵社中というサロンがありました。国学や和歌だけではなく、幕末の風雲急を告げた時勢を論じあっていたそうです。伴林や佐々木が中宮寺の門跡に相通じる思想を持っていたことは想像に難くありません。法隆寺の境内を歩きながら尊皇攘夷の意志を固めていったのでしょう。

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天誅組はたったの40日で壊滅してしまいましたが、徳川幕府はこれを契機に傾いていきました。そして5年後に明治維新を迎えるのです。奈良を舞台にした天誅組の戦いは近代を切り開いた第一歩といえるかもしれません。田園地帯にあった熱き男たちの集まり。意外に思えるほど静かなところです。

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中宮寺にはなにも関係の無いことですが、伴林光平や佐々木重信が志を強くしていられたという意味では重き存在でした。

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安堵町/中家 環濠住宅 豪壮 群雄割拠の跡形がそこここに刻まれていました。

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希少ということばでは物足りない。くまなく往時のまま。よくぞここまで保ってきたものだと感心することしきり。天災もあり、人災もあったはず。運命のしからしめるところとはいえ、これほどまでに欠点も不足もないとなればことばを失うのみ。

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中世のものが特別なものではなく、当たり前のようにして在るのはやはり不可思議。古代の遺産に隠れがちとはいうものの、500年前の家屋が現役として存在しているのです。見せかけでも、見せものでもない。奈良の懐の深くに入り込んでしまったような気分に襲われます。

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跳ね上げ橋。11口の竈。狩野派の襖絵。天正の梅干し。持仏堂に庫裏。数え上げれば切りが無い。驚嘆を通りこして呆然。埃をかぶることなく、偉ぶることもなく。ただただ平然としてそこにありました。

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東大寺/二月堂 つゆどき 薄暮 昼間の喧噪はどこへやら

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夕方の東大寺

梅雨時ともなれば人気が急に無くなっていきます。

あたりの風景は静けさを広げていきます。

贅沢なひととき。

なにか特別のことがあるわけでもないのに一日の疲れが薄らいでいきます。

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山々に囲まれた奈良が薄暮の中に沈み込んでいくようでした。

一日が終わり、新しい一日がやってくる。

そんな当たり前のことに、合掌。

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