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nalacarte

奈良のアラカルト=ナラカルトは奈良の観察記録です。

5 東大寺 二月堂 お水取り/湯屋

お水取り 二月堂 古代の風景 寺院 東大寺

夕方近くになると練行衆はいったん下堂してきます。

午後の7時には大鐘の合図とともにふたたび上堂します。

この時です。

あのお松明が足下を照らします。

 

それまでのわずかな間が練行衆の休息のひとときです。

まずは湯屋に向かい疲れを洗い流します。

五体投地という激しい祈りの所作がありますが、

冬の厳しさが残るこのときでも汗だくになっていることでしょう。

筋肉も限界に近い状態になっていると思われます。

少しだけほっとした湯上がりの顔を見せてくれます。

とはいえ、それも束の間のこと。

すでに夜に向けての覚悟が表情に滲んでいます。

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4 東大寺 二月堂 お水取り/上堂

お水取り 二月堂 古代の風景 寺院 東大寺

食事が終われば休む間もなく上堂します。

練行衆の目はなにか遠くを見つめているようです。

一段上がるごとに顔には厳しさがにじみ出て、

なにかに挑みかかろうとする決意が背中にはりついていました。

手始めに掃除が行われます。

ちょっと手荒い感じです。激しく動き回っているせいか、

かたかた、かたかたと下駄(さしかけ)の乾いた音がせわしく響いてきます。

ひとしきりの忙しない音が急に遠ざかったかと思うと、

格子の向こうの暗いところから厳かに読経が聞こえてきます。

動と静。見事な場面転換です。

一身に我らの代わりに懺悔をし、世界の平和を願い五穀豊穣を祈願しています。

すこしばかり演劇的。

こんな仏教行事もあったのかと少し驚いています。

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3 東大寺 二月堂 お水取り/食作法(じきさほう)

お水取り 二月堂 古代の風景 寺院 東大寺

仏教の根本にお慈悲があります。

食事においては、

与えられた食事をすべて口にするのではなく、ひとまとまりを残します。

それらは童子へのお下がりとなり、

鹿など獣への餌となり、鴉など鳥への施しとなります。

楽しむための食事ではありませんが、

かといって苦痛を飲み込むように食べているとも思いません。

食事が終わると、

練行衆みずから、紙に包んだひとつまみの米を空に向けて投げています。

生飯投げ(さばなげ)と言います。

鳥にお裾分けです。

この日は井戸(あかいや)の屋根の上で鴉が満足げについばんでいました。

ザルには童子によって残り物が盛られていました。

大抵は鹿が食べて行くようです。

合掌。

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2 東大寺 二月堂 お水取り/食堂

お水取り 二月堂 古代の風景 寺院 東大寺

食事は正午の一回だけ。

上堂すれば水を飲むことさえ許されず、

次の日の昼までなにも口にできないそうです。

喜び勇んで走っていく連行衆はあっという間に食堂に消えていきます。

とはいえすぐさま食事にありつけるわけではありません。

長い読経の後でやっと食べ物を口にできるのです。

米びつや椀を運び込む童子らはその読経がいつ終わるのかと、扉の外で、

早すぎてはならず遅すぎてもならずとばかりにじっと立って待機しています。

いざ、となれば開始の合図を知らせる小さな鐘楼を持ち込み、

竈から火を移し、湯を迅速に運び入れていきます。

 

食事も作法に則って行われます。

空腹を満たすだけではなく、のどの渇きを癒やすでもなく。

大地の恵みを口いっぱい頬張るのです。

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1 東大寺 二月堂 お水取り/お松明下ごしらえ

お水取り 二月堂 古代の風景 寺院 東大寺

大振りのお松明。

修行そのものに直接関係ない装置とはいえ、

これほど印象的なものもありません。

上堂する練行衆の足下を照らす明かりです。

燃えさかる火はとても神秘的です。

お松明は14日間、毎日、童子によって作られます。

童子とは練行衆の世話役のこと。

食事の用意もすれば、風呂も沸かします。

進行に耳をそばだて、タイミングを見計らいながら

ありとあらゆる雑事を担っています。

裏方の地道な下支えがあっての宗教行事。

1250年前からの言い伝えによるのでしょう、

見事な手さばきでお松明は仕上げられていきます。

 

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山辺の道/夜都伎神社。素朴の上にも素朴。飾り立てるものはなにもないのに威厳があって気高い。

夜都伎神社 古代の風景 夕暮れ 山辺の道 神社

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古代びとは自然のさまざまな現象を神の働きであると考えました。風の音、雲のかたち、雷雲から落ちる稲妻などの自然現象を逐一読みとろうとしました。神は何をしようとしているのかと、耳をすまし、心を動かしたのです。すべては神聖なものでした。

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黄昏/たそがれ。それは「誰そ彼」。夕刻の薄暗いときの表現です。その薄明の時間に表れるもの、動くものに強い畏怖を感じたようです。そこにいるのは誰ぞ。そこにあるのはなんぞ。ふっとした拍子に精霊や魔物がうごめいていると感じたのでしょう。万葉びとが持っていた世界観です。

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昼と夜が交錯するたそがれ。夜と朝が錯綜するあかつき。どちらも魂が揺れ動くとき。神の振る舞いは万葉びとの想像をこえた奇抜なもので、なにもかもが怖かった。魂が揺れないように、恐ろしいことが我が身に及ばぬように儀礼を尽くしました。ほの暗い山裾に立つだけで聖なるものとの関わりを大切にしたことがわかります。

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奈良女子大学。「明治の女傑いかにあらん」とつい口走ってしまう景観。女の踏ん張りはいまも続く。

奈良女子大学 きたまち 建築

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奈良女子大学の前身は1908年(明治41年)に設立された奈良女子高等師範学校です。翌年には奈良ホテルが開業しました。西洋の列強に負けじと明治が躍動しています。のちにすぐさま大正モダニズムを迎えますが、モガといわれた女性たちの種はすでにここにあったのかもしれません。

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古い校舎が残されています。とてもモダンなデザインです。形も色もやさしく、細部にわたって繊細な意匠が凝らされています。ここで明治、大正、昭和の女学生たちはなにを語り合っていたのかと想像するだけで胸のうちがきらめいてきます。

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師範学校25周年記念の時に同窓会によって煉瓦造りの泰安殿が寄贈されました。正門の脇にいまなお建っています。1934年のことですから世界がきな臭くなってきたころです。中には天皇と皇后の写真とともに教育勅語が納められていたそうです。

戦後、その存在理由をにらまれてGHQによって破壊されそうになりましたが、ショウジョウバエの研究用飼育室として使用すると申請したそうな。そして生き延びることとなりました。機転をきかせて切り抜けたのです。ひょっとして若き女生徒のとんちだったのかと思えばこんなに痛快なこともありません。

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