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奈良のアラカルト=ナラカルトは奈良の観察記録です。

東大寺/梅雨晴れの朝 大仏殿裏手の木々を渡ってくる風は瑞々しい。行基も重源もこの空気を味わったに違いない。

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お水取りと言われる修二会では神名帳を読誦しますが、はじめに読み上げられるのは金峯山寺蔵王権現です。金峯山寺とは修験道の開祖と伝えられる役行者が創立した寺であり、蔵王権現とは吉野の山で修行中に感得した釈迦如来の化身です。

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行基や重源のみならず、別当になった空海も山岳修行で己の基礎を築いています。となると東大寺高野山ともどこかで繋がっていることになります。修験者のネットワークは仏教界の礎となって発展したのでしょう。

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東大寺の朝の散歩は山伏の足跡を追跡しているよう。裏山には緩みのない景色が広がっていました。

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佐紀 磐之媛命陵/モネの睡蓮とまがうばかりの風景。濠に幻想が満ちています。

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印象派の巨匠クロード・モネは、自邸の池に浮かぶ睡蓮の花をこよなく愛しました。庭そのものが最高傑作であると自負するほど花の池と水の池にぞっこん惚れていました。そして睡蓮をモチーフにして多彩に描いてみせました。浮世絵をこよなく愛したモネは、色彩ばかりか構図にも日本的な筆づかいを持ち込みました。いくつもの名作が誕生しました。

佐紀の磐之媛命陵の濠にモネの愛した池が描かれていました。睡蓮の葉がぎっしりと浮かび、白やピンクの花を咲かせています。ことばもなく、ただただ見つめるばかり。

ジヴェルニーの庭が現れたのです。

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斑鳩/尼門跡 中宮寺 尊皇攘夷を標榜した天誅組の伴林光平(侍講)と佐々木信重(侍医)が出入りしていました。

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斑鳩の隣町である安堵町。ここに安堵社中というサロンがありました。国学や和歌だけではなく、幕末の風雲急を告げた時勢を論じあっていたそうです。伴林や佐々木が中宮寺の門跡に相通じる思想を持っていたことは想像に難くありません。法隆寺の境内を歩きながら尊皇攘夷の意志を固めていったのでしょう。

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天誅組はたったの40日で壊滅してしまいましたが、徳川幕府はこれを契機に傾いていきました。そして5年後に明治維新を迎えるのです。奈良を舞台にした天誅組の戦いは近代を切り開いた第一歩といえるかもしれません。田園地帯にあった熱き男たちの集まり。意外に思えるほど静かなところです。

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中宮寺にはなにも関係の無いことですが、伴林光平や佐々木重信が志を強くしていられたという意味では重き存在でした。

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安堵町/中家 環濠住宅 豪壮 群雄割拠の跡形がそこここに刻まれていました。

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希少ということばでは物足りない。くまなく往時のまま。よくぞここまで保ってきたものだと感心することしきり。天災もあり、人災もあったはず。運命のしからしめるところとはいえ、これほどまでに欠点も不足もないとなればことばを失うのみ。

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中世のものが特別なものではなく、当たり前のようにして在るのはやはり不可思議。古代の遺産に隠れがちとはいうものの、500年前の家屋が現役として存在しているのです。見せかけでも、見せものでもない。奈良の懐の深くに入り込んでしまったような気分に襲われます。

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跳ね上げ橋。11口の竈。狩野派の襖絵。天正の梅干し。持仏堂に庫裏。数え上げれば切りが無い。驚嘆を通りこして呆然。埃をかぶることなく、偉ぶることもなく。ただただ平然としてそこにありました。

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東大寺/二月堂 つゆどき 薄暮 昼間の喧噪はどこへやら

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夕方の東大寺

梅雨時ともなれば人気が急に無くなっていきます。

あたりの風景は静けさを広げていきます。

贅沢なひととき。

なにか特別のことがあるわけでもないのに一日の疲れが薄らいでいきます。

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山々に囲まれた奈良が薄暮の中に沈み込んでいくようでした。

一日が終わり、新しい一日がやってくる。

そんな当たり前のことに、合掌。

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東大寺 法華堂/西の正堂は天平時代。東の礼堂は鎌倉時代。合体して一つ屋根の下にいる。重源、してやったり。

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転害門と並び、法華堂は東大寺最古の建造物といわれています。正確には西の正堂だけが対象ですが、重源によって鎌倉時代に付け足された東の礼堂となんの違和感もなく繋がっています。正堂は柔らかく、礼堂は硬い。にもかかわらず初めから計算された混成のデザインがあったかのようです。

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屋根の真ん中を下から見上げると、天平時代からあった正堂の雨どいが埋め込まれているのがわかります。実用ではありません。雨どいの機能が無ければ意味をなしませんが、なぜかそこに在ることがしっくりきているのです。あまたある東大寺の建造物のなかで最も謎めいたプロポーションです。

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堂内におわす天平の仏像はそれぞれに違う強い光を放っていますが、それでいて一つにまとまって法華堂を特別なものにしています。緊張感をはらんで謎めいています。三月堂とも呼ばれる法華堂、内も外も不可解にして神秘的です。

無謀な取り組みにみえたものが調和しています。異質でも溶け合うことができるのです。

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旧柳生街道/柳生十兵衛に新陰流の手ほどきをうけるため剣豪が行き来しました。宮本武蔵も荒木又右衛門も!

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春日大社の脇から柳生街道ははじまります。すぐさま現代を見失ってしまうような原生の森の中へ。往時にタイムスリップしてしまった感覚に襲われます。剣豪の里を目ざして若き宮本武蔵もここを歩いたかと思うと、ちょっと不思議な気分。いつしか肩で風を切って歩いていました。

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川沿いには大きな岩石が点在しています。仏像の彫られた石を見ていると昔日の往来が信仰に満ちていたことが判ります。おそらく修行と信仰を切り離して考えることはできなかったのでしょう。弥勒如来に朝日が当たっていました。気持ちが急に引きしまったのはひやっとした風ばかりではありませんでした。

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鬱蒼とした山の中の石畳。ハイキングコースとしては初級レベルのようです。ところがその体験は奥深くの山を歩かなければ知り得ないようなものでした。小一時間も歩けば明るいところに出てきます。その先には古びた茶屋が待ち受けています。江戸時代から店があると言われましたが違和感はまったくありませんでした。

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