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奈良のアラカルト=ナラカルトは奈良の観察記録です。

佐紀丘陵 古墳の日なた/大小あわせて60あまりの古墳。まるで原生の森。記紀の世界がじわりと広がります。

磐之媛(いわのひめ)や日葉酢媛(ひばすひめ)など女性の陵が多い所ですが、200メートルを超える大きな陵の連なりを見ているといつしか墓であることを忘れてしまいます。手つかずの自然は原生の森とかわらぬ植生を見せてくれます。巨大に育ったシイやカ…

春日山原生林/木洩れ日と歩く

太陽が真上にあっても光はかすかに。なんとはなしに道の上で陽光は遠慮がちにしています。沢からさらさらと流れる水の音。そよ風に揺れる葉の影絵。なにもかも、ほどよく、さっぱり、戯れています。 若草山方面から入山するもよし、春日大社あたりから歩きだ…

山辺の道 真ん中辺りをぶらぶらと/日本最古の道。古くて新しい小道が南北にゆるやかに刻まれています。

古事記にも明記されている山辺の道。古くから要衝を結ぶ道として栄えたこともあり、黎明期の日本のこころがいまなお連なっているように見えます。北には最古の神社と言われもする石上神宮があり、南には神宿る山と呼ばれる三輪山がひかえています。その間に…

東大寺 公慶道/13歳の公慶は雨ざらしの大仏さまを見て忍びない思いをしました。そして固く決意したのです。

大仏殿の北、正倉院の東に龍松院はあります。江戸時代の初め、幼き公慶が入寺僧となった塔頭です。ここから大仏さまの修復と大仏殿の再建のために勧進所に通い続けました。時間を惜しんだのでしょう、ショートカットした小道が講堂跡の脇に残っています。 大…

慈光院(2)茶庭の風景/ありきたりの図面を引き裂いてしまったか。小さな茶庭も、天に連なる茶庭も設えてあります。

禅によって茶道は完成しました。禅を会得した者だけが茶の湯の肝心を飲み干すことができると言います。ただ飲むばかりなりという利休のことばがありますが、まさしく禅の世界観です。片桐石州は禅のことばを身につけていたのでしょう。作庭に窮屈な思考があ…

慈光院(1)臨済宗大徳寺派/土木普請奉行として知恩院の修復などを手がけた片桐石州の創建。端正な顔立ちです。

茶人としても名をなした片桐石州。大徳寺の名僧に参禅した大名だけに京都の文化に多大な影響を受けています。大徳寺といえば茶道を抜きにして語ることはできません。小堀遠州とも交流があったようですから、茶の湯の世界にどっぷりとつかっていた姿が想像で…

法輪寺/三重塔 幸田文の勧進があってこその再建です。江戸っ子が斑鳩三塔の景観を取り戻しました。

幸田文は、三重塔(落雷によって焼失)再建に奔走する失意の住職と東京の出版社で運命的に出会いました。聞くうち、持ち前のおせっかいに火がつき勧進を決意しました。65歳から75歳になるまでの老人のふんばりでした。出せるものはすべてだし、着物がす…

西大寺/中興の祖に叡尊。弟子に忍性。天皇も、非人も、帰依したとか。荒廃していた西大寺は再興されました。

叡尊は貧民を救済することから仏教の教えを広めていきました。寺の運営の基本に社会事業をおきました。やがて弟子となった忍性はその在り方に強く感化され、叡尊の右腕となって社会事業に没頭しました。社会活動に熱を入れすぎて叡尊から戒められたという逸…

秋篠寺/奈良の苔寺。日常をすこし離れて苔青し。往時の大寺院もいまはひっそりしています。

西大寺の北に秋篠寺はあります。昔日には寺領を争った間柄というほどですから、いかに大きな寺院であったのかわかります。奈良の多くの寺がそうであるように、歴史のうねりに翻弄され、秋篠寺も火災によって規模を縮小せざるを得ませんでした。金堂や東西の…

奥飛鳥 栢森(かやのもり)/飛鳥川がはじまります。吉野への街道が貫いています。栢森は宿場町として栄えました。

天が近くなり稲が谷間を埋めつくしています。狭いところなのに窮屈さがありません。 手谷川と行者川が合流して飛鳥川となります。下流の稲渕に比べれば小規模ですが、飛鳥川の水を利用した細くて長い田んぼが山間に連なります。念入りな仕事ぶりで稲はすくす…

奥飛鳥 飛鳥川にそって/古代からあった飛び石。向こう側に渡るのは待っている人がいるからです。

稲渕集落に入るところに男綱が掛け渡っていました。ここの神事は神式で行われます。栢森(かやのもり)に入るところに女綱が掛け渡っていました。ここの神事は仏式で行われます。飛鳥川でつながっている村の神仏習合はいとおかし。 稲渕の上流に栢森はありま…

奥飛鳥 稲渕集落/蘇我家打倒の気運が高まり謀議はここ稲渕で。入鹿の暗殺を経て国家の体裁は整えられていきました。

奥飛鳥の入り口に蘇我馬子の古墳と推定されている石舞台があります。そこから少し南下すると稲渕の集落ですが、その途中にきわめて珍しいピラミッド型の古墳があります。これは蘇我稲目のものと比定されています。勢力の強さを物語っていますがそれだけに反…

平城宮跡 燕のねぐら入り/真夏の夕刻。四方から飛んでくる燕の大群。ことばを失うほどダイナミックです。

春にやって来た燕は夏にかけて町中の民家などに巣を作ります。軒先で口を開けピーピー鳴いている赤ん坊を見かけますが、彼らの成長は早く、あっという間に一人前となり巣立ちをします。夕方は集団で行動し、夜には葭(よし)原などで一緒に眠りにつきます。 …

登大路 日吉館を懐かしむ/貧乏学生の泊まれる宿。いちどはすき焼きを馳走に。名だたる文化人の定宿でもありました。

会津八一も、和辻哲郎も、小林秀雄も、土門拳も、平山郁夫も、貧乏学生の磯崎新もここを足がかりに奈良を巡っていました。雑魚寝しかできない部屋があるのみ。それでも寄り集まっていました。寝坊しては怒られもしましたが女将さんの悪口を言う者は一人とし…

春日大社 奥の院道/本殿の南東のどんづまりに紀伊神社(奥の院)。鬱蒼とした森を縫って小道が続きます。

三条通の東の端にある一の鳥居をくぐれば、高木の枝が頭上をおおい、夏の日照りをさえぎってくれます。木々を渡ってくる風は涼やかで、夏の散歩にはこの上なく贅沢なコースになります。朝が早いほどさわやかですが、昼日中でもさして苦にならない道のりです…

東大寺 鐘楼/建造物は鎌倉期、釣り鐘は奈良時代。口径270センチ、重さ37トン。実験的で、ユニーク。

重源亡き後、栄西が大勧進として工夫に工夫を重ねて再建したようです。京都の建仁寺を創建した直後のことです。それまでにない様式であり、その後にも引き継がれることのなかった様式です。禅寺の建築様式のパイオニアとなった栄西ですが、おそらくこの鐘楼…

山辺の道 内山永久寺/1000年の歴史を誇った大寺院。明治に露と消えました。

東大寺、興福寺そして法隆寺に次ぐ格の高さを誇っていました。いくつもの堂宇がならび、子院も多くあったといわれています。特別の格を持った大寺院でした。しかし明治の廃仏毀釈のときに廃寺となり、浄土式庭園にあった池だけが残りました。なんとも悲しい…

春日大社/桂昌殿 綱吉の生母、桂昌院。春日大社ばかりか法隆寺も唐招提寺も復興し奈良を蘇生させました。

巷間伝えるところによれば、桂昌院は京都の八百屋の娘であったといわれています。あれよという間に大奥にまで上り詰め、ついには5代将軍綱吉を懐妊。ここまではとんとん拍子でしたが、大奥にはライバルも多く、陰湿ないじめにあっていたとか。その時の桂昌…

山辺の道/纏向(まきむく)はヤマト政権発祥の地。どこを見わたしても古代が色濃く縁取られています。

纏向は弥生時代から古墳時代にかけての都市だったとか。農耕具がほとんど出土せずに、土木工事の工具ばかりが出てくるそうです。この国に自生しないベニハナの花粉が確認され染色用であったと推測されています。となれば渡来人の高度な技術がここにあったと…

法隆寺/夢殿 斑鳩宮に住んだ聖徳太子。ここは難波と飛鳥のまんなか。軍事と交通の要衝でした。

聖徳太子が仏教に熱心であったことは誰しもが認めるところです。蘇我馬子とともに政治の混乱を収拾していきましたが、理念のなかに仏教の教えが取り込まれていました。四天王寺をはじめとする数々の寺院を建立したのもその現れでしょう。そのとき、この国の…

奈良少年刑務所/明治41年の赤煉瓦建築。西洋の様式を模倣。近代化した日本の象徴として世界に提示されました。

日清、日露戦争に勝利したものの、当時の日本は不平等条約のもと三等国の位置づけでした。そんな馬鹿なことがあるものかとの声が日増しに強くなっていきました。そこで一計を案じ、西洋の列強と対等に渡り合えることを誇示しようということになりました。法…

東大寺/梅雨晴れの朝 大仏殿裏手の木々を渡ってくる風は瑞々しい。行基も重源もこの空気を味わったに違いない。

お水取りと言われる修二会では神名帳を読誦しますが、はじめに読み上げられるのは金峯山寺の蔵王権現です。金峯山寺とは修験道の開祖と伝えられる役行者が創立した寺であり、蔵王権現とは吉野の山で修行中に感得した釈迦如来の化身です。 行基や重源のみなら…

佐紀 磐之媛命陵/モネの睡蓮とまがうばかりの風景。濠に幻想が満ちています。

印象派の巨匠クロード・モネは、自邸の池に浮かぶ睡蓮の花をこよなく愛しました。庭そのものが最高傑作であると自負するほど花の池と水の池にぞっこん惚れていました。そして睡蓮をモチーフにして多彩に描いてみせました。浮世絵をこよなく愛したモネは、色…

斑鳩/尼門跡 中宮寺 尊皇攘夷を標榜した天誅組の伴林光平(侍講)と佐々木信重(侍医)が出入りしていました。

斑鳩の隣町である安堵町。ここに安堵社中というサロンがありました。国学や和歌だけではなく、幕末の風雲急を告げた時勢を論じあっていたそうです。伴林や佐々木が中宮寺の門跡に相通じる思想を持っていたことは想像に難くありません。法隆寺の境内を歩きな…

安堵町/中家 環濠住宅 豪壮 群雄割拠の跡形がそこここに刻まれていました。

希少ということばでは物足りない。くまなく往時のまま。よくぞここまで保ってきたものだと感心することしきり。天災もあり、人災もあったはず。運命のしからしめるところとはいえ、これほどまでに欠点も不足もないとなればことばを失うのみ。 中世のものが特…

東大寺/二月堂 つゆどき 薄暮 昼間の喧噪はどこへやら

夕方の東大寺。 梅雨時ともなれば人気が急に無くなっていきます。 あたりの風景は静けさを広げていきます。 贅沢なひととき。 なにか特別のことがあるわけでもないのに一日の疲れが薄らいでいきます。 山々に囲まれた奈良が薄暮の中に沈み込んでいくようでし…

東大寺 法華堂/西の正堂は天平時代。東の礼堂は鎌倉時代。合体して一つ屋根の下にいる。重源、してやったり。

転害門と並び、法華堂は東大寺最古の建造物といわれています。正確には西の正堂だけが対象ですが、重源によって鎌倉時代に付け足された東の礼堂となんの違和感もなく繋がっています。正堂は柔らかく、礼堂は硬い。にもかかわらず初めから計算された混成のデ…

旧柳生街道/柳生十兵衛に新陰流の手ほどきをうけるため剣豪が行き来しました。宮本武蔵も荒木又右衛門も!

春日大社の脇から柳生街道ははじまります。すぐさま現代を見失ってしまうような原生の森の中へ。往時にタイムスリップしてしまった感覚に襲われます。剣豪の里を目ざして若き宮本武蔵もここを歩いたかと思うと、ちょっと不思議な気分。いつしか肩で風を切っ…

今井町/戦国時代の環濠集落。一向宗の武装都市。江戸の町かくやあらん。

近世以前の町並みが残っています。江戸時代から続いているような建造物群が幾筋もあります。ちょっとあるという規模ではありません。16世紀と変わらぬ道筋が縦横に貫いているのです。奇跡的な景観。江戸の町のありさまが肌で伝わってきます。 大和の金は今…

円成寺/武士の情けで仏像は残りました。運慶の初めての仏像がふくよかな顔をして鎮座しています。

応仁の兵火が円成寺に放たれると知り、とある武士が裏切り行為でありながら極秘に耳打ちしに来たそうです。僧侶らは慌てて仏像を避難させました。火を放つ武士も人の子、仏像まで焼かれてしまうことを嫌ったということでした。地獄におちる恐怖心があったの…

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