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nalacarte

奈良のアラカルト=ナラカルトは奈良の観察記録です。

浄瑠璃寺〜岩船寺/石仏 人々の願いそのまま石仏

仏像といえば仏師が作るものと考えがちです。 運慶や快慶の残した仏像は文字通りこの国の宝です。 しかしそれらばかりが仏像ではありません。 円空は僧侶としてじつに多くの仏像を彫りました。 大工や農民の彫った地蔵も山中にひっそりと立っています。 考え…

浄瑠璃寺/陽春 春の花咲きほこりたる浄土かな

1000年前の平安時代は末法に入った時代。 釈尊の教えもゆらぎ、争いごとが絶えなくなると広く喧伝されました。 そんなときに浄瑠璃寺は創建。 僧侶の戒律を厳しく修めて不遜な時代に対峙しました。 浄瑠璃とは澄みきった世界のことだそうです。 浄瑠璃寺…

11 東大寺 二月堂 お水取り/満行

終わりを全うして練行衆は結束をとかれます。 それぞれの顔にやり遂げた者だけが見せる逞しい境地を浮かべています。 鋭い目つきのなかに優しさがにじんでいます。 練行衆のからだから立ち上る気は天を衝くかのよう。 自坊に去りゆく練行衆は足を一つ運ぶご…

10 東大寺 二月堂 お水取り/しりつけ松明

お水取りの最後を飾る「しりつけ松明」。 前の童子の尻に火がつくほどの近い距離で上がることからそう呼ばれています。 一列に並ぶさまは大団円を迎えるにふさわしい。 荘厳さもさることながら華やかさがなんともいえず 胸の内をほわっと明るくしてくれます…

9 東大寺 二月堂 お水取り/達陀(だったん)

達陀(だったん)とは聞き慣れないことば。 それもそのはずサンスクリット語で焼き尽くされる意とか。 またしても火の行法。 堂内に侵入しようとする鬼を松明によって退治する。 お水取りを始めとするきわめて崇高な儀式と違い、どこか愉快。 見る者の緊張を…

8 東大寺 二月堂 お水取り/籠松明と「お水取り」

籠松明は12日目にあげられる特別のものです。 この日は修二会(しゅにえ/お水取りの正式名称)の頂点をきわめる日となります。 深夜にお水取りと言われる由縁になった「お水取り」が行われます。 籠松明は普段のお松明よりも大きく、夜空を焦がさんばかり…

7 東大寺 二月堂 お水取り/童子がいてこそ

お水取りとは正式に「十一面悔過」(じゅういちめんけか)といいます。 二月堂本尊の十一面観世音菩薩に因んでいます。 仏教の根本には、 過ちは欲と怒りと無知によって引き起こされるものという解釈があります。 なるほど道理です。 しかしながら教わった真…

6 東大寺 二月堂 お水取り/お松明

お松明が現れると一斉に耳目をひき、 いまかいまかと待ち望んでいた人々から大きなどよめきが起こります。 闇のなかにうっすらと浮かび上がる回廊は舞台と化します。 人々の顔は赤く染まり、 うっとりとした表情を見せたかと思うと、 驚嘆と溜息の入りまじっ…

5 東大寺 二月堂 お水取り/湯屋

夕方近くになると練行衆はいったん下堂してきます。 午後の7時には大鐘の合図とともにふたたび上堂します。 この時です。 あのお松明が足下を照らします。 それまでのわずかな間が練行衆の休息のひとときです。 まずは湯屋に向かい疲れを洗い流します。 五…

4 東大寺 二月堂 お水取り/上堂

食事が終われば休む間もなく上堂します。 練行衆の目はなにか遠くを見つめているようです。 一段上がるごとに顔には厳しさがにじみ出て、 なにかに挑みかかろうとする決意が背中にはりついていました。 手始めに掃除が行われます。 ちょっと手荒い感じです。…

3 東大寺 二月堂 お水取り/食作法(じきさほう)

仏教の根本にお慈悲があります。 食事においては、 与えられた食事をすべて口にするのではなく、ひとまとまりを残します。 それらは童子へのお下がりとなり、 鹿など獣への餌となり、鴉など鳥への施しとなります。 楽しむための食事ではありませんが、 かと…

2 東大寺 二月堂 お水取り/食堂

食事は正午の一回だけ。 上堂すれば水を飲むことさえ許されず、 次の日の昼までなにも口にできないそうです。 喜び勇んで走っていく連行衆はあっという間に食堂に消えていきます。 とはいえすぐさま食事にありつけるわけではありません。 長い読経の後でやっ…

1 東大寺 二月堂 お水取り/お松明下ごしらえ

大振りのお松明。 修行そのものに直接関係ない装置とはいえ、 これほど印象的なものもありません。 上堂する練行衆の足下を照らす明かりです。 燃えさかる火はとても神秘的です。 お松明は14日間、毎日、童子によって作られます。 童子とは練行衆の世話役…

山辺の道/夜都伎神社。素朴の上にも素朴。飾り立てるものはなにもないのに威厳があって気高い。

古代びとは自然のさまざまな現象を神の働きであると考えました。風の音、雲のかたち、雷雲から落ちる稲妻などの自然現象を逐一読みとろうとしました。神は何をしようとしているのかと、耳をすまし、心を動かしたのです。すべては神聖なものでした。 黄昏/た…

奈良女子大学。「明治の女傑いかにあらん」とつい口走ってしまう景観。女の踏ん張りはいまも続く。

奈良女子大学の前身は1908年(明治41年)に設立された奈良女子高等師範学校です。翌年には奈良ホテルが開業しました。西洋の列強に負けじと明治が躍動しています。のちにすぐさま大正モダニズムを迎えますが、モガといわれた女性たちの種はすでにここ…

奈良基督教会。数寄屋造り風の日本様式の屋根に十字架がのっている。和洋折衷きわまりて、はっとする。

仏教寺院の町にキリスト教の教会。土壁越しのすぐ向こうに興福寺の南円堂が見えています。それもそのはずもともとは興福寺境内だったそうです。まるで仏教とキリスト教が連なっているようです。 どこから見ても純和風の建造物。一瞬、興福寺の関連のものかと…

高畑「志賀直哉旧居」。志賀直哉は引きつけられるようにして奈良に移り住んだ。 古美術をこよなく愛したという。

近代は高らかにラッパを吹き鳴らして始まりましたが、西洋からの怒濤のごとき近代文明の侵入に抗しきれず自分を見失いがちでした。自然は破壊され、日本文化が崩壊していく。小説の神様といわれた志賀直哉にしても同じことでした。苦悩は病的なほど膨らみき…

春日山原始林の原生文様。ほとんど人の手の入っていない場がある。ありのままの姿がこんなところにあるなんて。

我ら地球人、まっとうな自然をずいぶん失ってしまった。自然を壊してしまえば、人間が壊れてしまう・・・。自然をしっかり残すこと。さすれば人間も生き延びることになる。道理至極なり。 原始林とは人に荒らされることなく生存している森林のこと。奈良には…

浮見堂。六角形のお堂が浮かび、ひとは水辺に憩う。鹿も物静かに佇んでいる。 水面には天平の空が浮かび上がってくる。

浮見堂は古いようで新しい。もともと大正時代に設置されたそうで、いまあるものは平成になって修復されたものだとか。それでもその形が昔のものゆえに、奈良の連綿として続く風景になじんでいます。鹿の鳴き声を聞くたびに静けさがきわだちます。 檜皮葺の浮…

大安寺と守護神の八幡神社。田園地帯にぽつねんと鎮座していますが往時は東大寺などに匹敵する存在でした。

空海との縁も深く、唐からの並みいる高僧も大安寺を住まいにしていました。国づくりのための地固めが奈良で行われていましたが、大安寺も期待をにない仏教の発展に寄与してきたのです。 そんな大寺院といえども守護神を必要としていました。日本の神さまが仏…

転害門は平城宮に向けて立つ。奈良は唐の影響を強く受けた。仏教美術も頂点を極めた。爛熟した文化が通り抜けた。

転害門は西に向かって屹立するように立っています。天平の門はなにを見続けてきたのかと体をくるりと回し、視点をまっすぐに一条通りの先の方へ落とすと、寸分たがわず平城宮の真ん中に突き当たることがわかりました。1300年、柱は風雨に削がれてでこぼ…

円照寺。鳥は鳴き、葉さやぎて、特別なものはなにもない。静かに対座すれば静寂が聴こえる。すでに完結している。

円照寺は臨済宗の尼門跡。山門より先に立ち入ることはできませんが、禅者の歩く参道にはすでに本堂に連なる厳しさがあります。禅はどんなときでも自然とともにあるそうです。引き寄せることも、突き放すことも無縁。ありのままにいることで自然界の啓示を聴…

冬の奈良公園。いつ行っても、なんど訪れても、あたらしい。冷たい風が吹いても気持ちが熱くなる。

東大寺の南大門や興福寺の五重塔あたりから少し横にそれるだけで、そっと歩く我が身の靴音が聞こえるほどに静かさを感じることができます。これもまた冬の光景。そこらを独り占めできるような気分です。 なにもないようでなにかがある。土塀の向こうの風景や…

奈良町。ぶらりと歩けば古代も、中世も、近世も、そこここに。そんな中に現代がゆるりと踏ん張っている。

谷崎潤一郎は関東大震災のあと、古い文化の息づく大阪に住み着いてしまいました。奈良にもたびたび遊びに来ていたようです。一献かたむけるたびに、薄明かりの中の金屏風の揺らぎにはっとしたことでしょう。陰影礼賛の美を感じ取ったのも、きっと、そんな瞬…

県庁屋上に上がれば敷きつめられた古代が一望の下に。飛鳥も葛城山も山辺の道もなまめかしい。

たたなづく青垣も、大和三山も、吉野の山々も、霞がたなびいて、どこもかしこもぼんやりと見えることがしばしばです。それだけにじっと見やっていると時間の観念はどこかに追いやられ、三輪山の辺りに卑弥呼の声を聞いたようにもなり、はたまた斑鳩の厩戸皇…

古代には奈良と同じ文化圏だった大阪天王寺界隈。それから1400年。通天閣と阿倍野ハルカスがそびえている。

古代の奈良を思うとき、どうしても古代の大阪を切り離してみることはできません。難波や堺も重要なところですが天王寺辺りも特筆すべき地域です。気がつくとなにはともあれ厩戸皇子の四天王寺に向かってしまいます。 毎月二一日はお大師さんの日。にぎやかに…

飛鳥古京の時代、仏教が伝来。言霊の霊妙な働きによって国は成りたつと考えられた。このとき万葉集が立ち現れた。

政治文化の中心地となった飛鳥は中国の都をまねた景観を持ち、豪族の邸宅が建ち並んでいたという。庶民は奈良時代にあっても竪穴式住居で暮らしていたそうですが、都市生活者が初めて出現した時代となりました。 飛鳥、そのことばの響きは穏やかですが、蘇我…

古代豪族の群雄割拠した葛城。西の山辺の道といわれる古道が走る。とても深い。日本の原風景はここにある。

豪族たちの勢力は古社寺ばかりではなく、古代びとがさかんに行き来した道端にもひっそりと史跡が残っています。この国が日本になろうとしたときの胎動がありました。幹線としての道は今ではのどかな畦道となっていますが、ここにある田んぼはなにも変わるこ…

長岳寺は大和神社の神宮寺。となれば最古といわれる神社の神さまと長岳寺の仏さまは一体ということになる。

本地垂迹という日本独自の信仰の形態。八百万の神々はもともと仏さまたちだったというもの。仏さまが化身して日本に現れ、神々となって人々を救うという。神仏習合の特別な世界です。 空海が創建したと伝わる長岳寺ですが、明治の廃仏毀釈のときに危うく廃寺…

神は万物に宿るという。神頼みという。神も仏もないという。神さびるともいう。石上神宮、日本最古という説がある。

万葉の時代、生まれるというのと、現れるというのは同じ根を持つことばだったらしい。生まれるは、生る(ある)ということらしく、魂の現れをあらわしている。そして魂は生まれるものの、いずれ幽界へと移行していく。現代的にいえば死ぬということ。しかし…

平城宮跡のすぐ北に水上池。四季を通じて楽しめるとはいえ、冬の風景は詩情ゆたかで凍てつきさえ気分が良い。

ひょっとすると冬の奈良でもっとも変化に富んでいるかも知れません。朝日に映しだされた水面も、夕日に赤く染まる池畔も、ちょっと劇的です。たとえ曇っていても、まるで一枚の絵を観るよう。 渡り鳥が多くやってきます。冬ならではの賑わいです。(ヌートリ…

飛火野の初日の出。冷やっとしているものの、神々しい。古代と同じ光を射しただろうか。

神が降臨するという御蓋山。凍てつく東の空から白くて冷たい光を射してきます。神奈備(かんなび)の辺りだからでしょうか、空の色は赤みを帯びたり、青みがかったり。 なぜか鹿たちもそわそわしていました。終いにはなにかを感じたらしく、いっせいに小躍り…

国を救うために、守るために建立された東大寺の大仏殿。泰然自若とした微笑で新年を迎えている。

見慣れているはずの大仏さまなのに、その大きさに圧倒されてしまいます。些細なことなど、どこへやら。天晴れあっぱれ。 傍に佇むだけで、心穏やかになっていきます。手を合わせる人だれもが安堵の顔。大仏殿の中には大きな宇宙がありました。 特別としか言…

土塀や築地塀。ひび割れしても、型くずれしても、味わい深い。古都の美しさを守る障壁に見えてくる。

土の塀。竹の塀。木の塀。昔ながらの工法で作られた塀に沿って歩けば、もうそれだけで古代の気分。往時の美的感覚に脱帽します。 自然の素材は朽ちるほどに見応えがあります。ぼろぼろになってこそ古都を古都らしくしている。なんでだろう。 古いことがこん…

奈良公園という豊かな自然界。冬ともなれば渡り鳥も飛来して枯木もにぎやかに揺れている。

奈良公園を少し歩くだけで、都会ではなかなかお目にかかれない鳥に会うことができます。奈良盆地が原生林や田園に囲まれているせいかもしれません。初めて耳にする鳴き声もたびたび聞こえてきます。 珍しい鳥もいるようですが、そういう鳥に限ってすばしこく…

一葉がふんばって風に揺れている。まだ光も柔らかく、奈良公園の初冬は秋の名残であたたかい。

歩くにはもってこいの季節。光が透きとおって見えるから遠くの景色もはっきりとしてきました。冬の奈良公園の美しさが際立つときです。 枯木の間に顔をのぞかせる冬の花。ときおり遭遇する寒桜や山茶花がなんともいえず微笑ましい。春の花にはない存在感があ…

古代の奈良は難波や堺に連なっていた。となれば1300年前の大阪は奈良そのもの。さて、さて、はたして・・・。

厩戸皇子、つまり聖徳太子が初めて建てた寺院が四天王寺。法隆寺よりも古く、日本最古の官寺であるとか。紆余曲折があったにせよ、ここにこうして元気でその威容を誇っています。感慨深いものがあります。 難波は国際港でした。川は重要な大動脈でした。もち…

おん祭は、正式には春日若宮おん祭と言うそうな。1100年以上続いている。1年の締めくくりの大きな祭です。

大和の春は大和神社のちゃんちゃん祭りから始まり、春日大社のおん祭でその年をめでたく終えるそうです。若宮さまと呼ばれる神さまの労をねぎらい、感謝の気持ちを込めてさまざまな供物と芸能を奉納します。 奈良でもっとも大掛かりな祭です。厳粛さもあれば…

157の支流を持つという大和川。飛鳥時代には大陸の文明を運び、この国の礎を築いた。しかしながら、しかしながら。

奈良盆地を取り巻く山々から流れ出した一滴の水がやがては一つになり、大阪湾へと向かう大和川となっています。古代、この水の道を利用して大陸からさまざまなものが流入しました。 大和川があって初めて文明と文化が開花しました。ところが近代になって粗末…

飛鳥古京の時代、仏教が伝来し、古代の神々と一体になりながら国のかたちを整えた。文明の槌音が聞こえる。

政治文化の中心地となった飛鳥は中国の都をまねた景観を持ち、豪族の邸宅が建ち並んでいたといいます。庶民は奈良時代にあっても竪穴式住居で暮らしていたそうですが、都市生活者が初めて出現した時代となりました。 飛鳥、そのことばの響きは穏やかですが、…

山辺の道の真ん中あたり。柳本から長柄を歩く。古代の壮大な風景がどこまでも続いている。

JRまほろば線の巻向〜柳本〜長柄あたりはとても歩きやすい。文字通り山の縁をなぞるように歩を進めるわけですが、なぜか高所から奈良盆地を見渡しているようで爽快です。万葉びとの誉めそやした風景が広がっているのです。 この国が発祥したとも言われてい…

佐紀の古墳群。古代が現代に生存していると言ってしまえば大袈裟か。それでも遠い昔の風景がぐっと迫ってくる。

古墳は神聖な場所ゆえ、原生林に似て手つかずの自然が残されました。鳥の鳴き声かまびすしく、のびやかな土盛りの起伏と満々と水をたたえた堀を見ていると古代の景色が胸のうちに広がっていきます。 信仰の強さを思わずにはいられませんが、風にも雨にも聖な…

ほら、ごらん、奈良公園のかぎろひ。天が広々しているから、なにごとかが始まる予感を抱かせてくれる。

晴れ渡った朝はどこにいても気持ちを清らかにしてくれますが、奈良町の、東に広がる飛火野あたりは格別です。背後にシルエットになって連なっている山にはありのままの原生林が含まれています。隣接する御蓋山(みかさやま)は神奈備(かむなび)といって神…

室生寺に竜神の気配。足がちぎれるほどに歩くと超常現象を感得するという。竜と出会えるのはそういう時らしい。

役行者も、空海も、竜が棲むという深山幽谷で修行しています。なにを聴き、なにを見たのか。暗がりともなれば奥の院に登る山道が竜のように見えます。 鎌倉時代になって、十二神像が造られました。幸せなことに金堂にあって生き生きとした表情を見せています…

秋の散歩が始まって気がついたこと。渡り鳥も飛来して空が賑やかになっていました。

平城宮跡辺りでは鷲などの猛禽類もいますが奈良公園や奈良町辺りでは小鳥が忙しそうに飛びかっています。よくよく見ると山里に棲む鳥も多く、なるほどここは山の連なりにある自然たっぷりの場所なんだなと一人ひそかに悦に入っています。 秋も深まってくると…

山辺の道はどこから歩いても古代を闊歩している。とくに巻向辺りは、ちょっと凄い。

巻向に降り立つと目の前に三輪山がでんと構えてこちらを見ています。この国が出来上がる前から、山そのものがご神体として崇められていたようです。 南へ歩くと元伊勢と言われた桧原神社です。伊勢神宮のアマテラスはここからおいでになったとか。 ひょっと…

秋雨の中を歩く贅沢。万物がすがすがしく匂っている。天地がほほえんでいる。

晴れ渡る空の下での紅葉もじつに素晴らしいものですが、雨に濡れそぼつ秋の色づいた木々や草花はしっとりとして自然の妙を見せてくれます。 奈良の庭はおおらかです。自然とともにあろうとする仏教が根本にあるからでしょう。華美でもなく、単調でもなく。 …

夕暮れの東大寺を散歩すれば、いつの日でも、いかなる時でも、行き着く先は二月堂になってしまう。

東大寺はどこも美しいけれど、二月堂にはぐっと惹かれるものがあります。真冬だろうと、真夜中だろうと。1300年ものあいだ庶民が足繁く通った所です。 小難しい仏法の話はさておき、ここでは農民も商人も現世利益を求めて願掛けをしていたそうです。 夕…

天をつかめそうな若草山。小さな山なのに風景は大きく、古代まで見えている。

遠くからでもすぐにそれと分かる若草山。奈良のランドマークです。にもかかわらず、とても身近な存在で、急に思い立ち登ってもすぐさま頂上まで行き着きます。麓からたったの30分。しかもゆっくりと歩いて。 とはいえ景色は雄大なのです。この国を作ってき…

斑鳩に古代の風景を見にいく。あっけらかんとして、小さなことにこだわらない風が吹いている。

斑鳩は法隆寺を中心にして田園が広がっています。どこも平らで、空がやたらに大きく、古代の風景とはこんなことなんだろうなと思わせてくれます。さっぱりと抜けているさまは現代が忘れてしまった景色です。 どこを見渡しても作為的なものがほとんどありませ…

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