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奈良のアラカルト=ナラカルトは奈良の観察記録です。

奈良町 松の内/門前に掛かる正月の松飾り。きりりとして清々しく。鹿の鳴き声も新春を言祝いでいるようです。

東大寺や春日大社には引きも切らず押し寄せてくる参拝客でごった返していましたが、そんなときでも奈良町はひっそりとしていて昔ながらの家族中心の正月があるようでした。ふだんの観光客はどこへやら。ここに暮らす住人たちが自分たちの町を取り戻し落ち着…

鹿 とっておきの隠し芸/いたるところ景観が美しいのは鹿のおかげです、と言いたくなるほどです。

芝を刈り取るように草という草はほとんどを食べ尽くしてしまいます。ときどき奈良町にもやってきて植木鉢の葉っぱも食べてしまいますが・・・。よく見ると地面から2メートル程度がすっかり切り取られています。つまり鹿の届く背伸びの範囲が食べ尽くされて…

東大寺 元旦/東の空が白み始める頃。大仏殿の輪郭が浮かび上がり、金色の鴟尾がひときわ輝きを増します。めでたし、めでたし。

いまから約千年さかのぼること、平家によって大仏殿は無残にも火を放たれてしまいました。大仏さまも焼けただれ長い間風雨にさらされていました。江戸時代にようやくと再建されますが規模はぐっと小さくなり三分の二まで縮小されてしまいます。それでもこの…

興福寺 中金堂/301年ぶりに再建。20年かけて完成しました。東大寺大仏殿に次ぐ大きさです。

710年頃に創建されましたが戦災や火事で7回も焼失した中金堂。アフリカからケヤキ、カナダからヒノキを輸入して資材としたそうです。大きな柱は日本から調達することは叶いませんでしたが天平の風景を取り戻しました。東西37メートル、南北23メート…

春日若宮おん祭 平成の終わりに/一年の無事を祝うかのよう。春日大社の若宮さまに御出座いただき感謝の念を伝えます。

春日大社の摂社として若宮神社は境内の奥に鎮座しています。若宮さまは特別の神さま。なにからなにまで別格の儀式が神妙に執り行われます。日をまたぐ16日から17日の真夜中、若宮さまお住まいの神社より世俗の片隅(御旅所)においでいただき、仮に造ら…

東大寺 かぎろひ/明け方、東の空からうっすらと明るく射してくる光。それを陽炎<かぎろひ>と言います。

東大寺となると参拝客や物見遊山の観光客でごった返していますが、初冬の東大寺の明け方は人っ子一人いない静かな風景が広がります。これぞ古代から変わらぬ景色かと思えるほどに真に迫ってくる気分です。曙光の清らかさはなににも代えがたい。震えるほどの…

長谷寺 貴族の衣擦れ/平安時代の貴族が観音さまに帰依してから大いに賑わいました。山岳寺院というより巨大な山荘のようです。

貴族的な匂いが立ちこめていて、霊場というよりも、宮廷の別荘が山のなかに造営されたという雰囲気を持っています。遠くに見える山の稜線も吹きわたる風も優雅に感じられて、平安貴族がそぞろ歩いた参道も散策路という方がにあっています。紫式部も清少納言…

東大寺 晩秋/木の葉はひらりひらりと舞いながら音もなく足もとへ。大仏殿、講堂跡、大仏池辺り、多彩な色模様です。

黄金色の銀杏も、朱色と紅のモミジの葉や桜の葉も、宗達の絵の具のたらしこみのよう。それでも奈良でもっとも美しく映えているのはナンキンハゼ。赤や黄の色が幾重にも重なって自然の織りなす微妙な色調が一本の木をバランスよく彩っています。繁殖力も強く…

大和八木/東西に1400年前の横大路。南北に1300年前の下ツ道。古代の道と古代の道が現代の道として交差しています。

この国最古の幹線道路が大和八木を貫いています。交差点近くの町並みは真空地帯のようです。1300年前の都だった平城宮の奈良ともなにかが違う。横大路も、下ツ道と呼ばれる中街道も、この辺りに限っていえば道を拡張されることがなく、いまもって現役で…

柳本 茶人有楽斎/戦国時代を生き抜いてきた織田有楽斎は運の強い男です。柳本から桜井一帯を家康よりもらい受けました。

有楽斎は織田信長の弟。本能寺の変の後、美濃へ逃げ、その後は豊臣家の大阪城に入りました。冬の陣、夏の陣で大阪城は落ちてしまいますが有楽斎は直前に城を離れまたもや生き延びました。関ヶ原の戦いで武勲を立てていたこともあって徳川家康は有楽斎を特別…

奈良公園 秋を歩く/物見遊山に黄、赤、深紅の木の葉。濃淡さまざまでうっとり。天高く人も肥えて・・・!

野分の風もおさまり、ぽかぽかとした小春日和の季節になりました。晴天に恵まれ紅葉もいよいよ。色とりどりの枝を差し交わしていて驚嘆するばかり。遠くの山も赤や黄色を折り重ねています。暖かい日が続くせいか、ちらほらと狂い咲きの花を見かけます。これ…

桧原神社 山辺の道/桧原神社は元伊勢と言い、伊勢神宮に祭祀されているアマテラスはもともとここにおわしたとか。

神々はさまざまなところへ降臨します。高木や巨石にはじまって家庭生活の道具にまで。木は神木となり、岩は磐座(いわくら)と呼ばれます。山を神のおわす場と見なし、山にあるすべてを神体とすることもあります。神は注連縄(しめなわ)や榊(さかき)によ…

飛火野 空/朝まだき。きっかり15分のパフォーマンス。目まぐるしく表情を変えていきます。

飛火野の空は日の出の頃がもっとも美しい。またたく間にかたちを変えながら、綿雲の上に筋雲や鱗雲。ほんの短い時間の出来事ですが、太陽がすっかり顔を出し切ると、それぞれの雲は溶け合うようにしていなくなり、いつもの平坦な空に戻ってしまいます。天空…

春日大社 参道/三条通を東に歩けば一の鳥居。世俗は遮断され木々の隙間から古代の風景。原生林のこんもりした森へと続きます。

参道は深閑とした森を切り開いて造られています。ご神体の御蓋山を訪ねるように歩きます。つい先ほどの三条通の喧噪は薄められていき、いつしかこころ穏やかに歩を進めています。この道が県庁の目と鼻の先にあるとは、いやはや、いやはや! 一歩一歩進むごと…

斑鳩 聖徳太子/山がそびえ立つ。それを「やまと」と言いました。大和の西向こうに渡来人が居を構えていました。

飛鳥時代、厩戸皇子(聖徳太子)は絶大な権力者の蘇我馬子と手を組むこともあれば反目することもあったといわれています。きわめて微妙な状況が太子を取りまいていたことになりますが、もやもやとした気持ちを払拭したのは仏教だったようです。渡来人に仏教…

興福寺 東金堂/聖武天皇は叔母であった女帝の元正天皇のために建立しました。平癒のための祈りの場でした。

父の文武天皇は7歳の時に急死しましたが、幼すぎた皇子は天皇になることができませんでした。そこで父の母、そして母の妹が中継ぎの天皇となりました。異例ずくめですがようやく24歳の時に即位することになりました。生誕したときから波乱の中で生きた聖…

猿沢池 采女祭/池の隅で背を向けた神社。後ろ向きで人びとを迎えています。名月や思わせぶりに雲の中 いやはや!

月見の団子や秋の草花が飾られ、いつもより町が華やいでいます。行列の中ほどには秋の七草で彩られた花扇があります。行き交う人が初秋の風情を楽しんでいました。 采女は入水してしまった悲劇の女性です。事の起こりは悲しみに包まれていますが、奈良時代ら…

春日大社 もう一つの参道 鷺原道/興福寺大乗院の僧侶はこの裏道を使い参拝しました。ショートカットした道です。

大乗院から春日大社までを直線で引いたような道です。表参道の途中から南に折れ、飛火野の奥を抜けます。別名を地僧道(じそうみち)といいます。いちだんと深い自然に心は洗われ、神が現れても不思議ではない雰囲気が横溢しています。 興福寺と春日大社の出…

春日大社/藤原不比等 大和朝廷の骨格を築いた藤原鎌足の次男。藤原家の祖先神として神社を建立しました。

この国の歴史上、藤原不比等は最強の男であったかもしれません。藤原四兄弟と呼ばれた息子たちとともに中央集権化に力をつくしました。娘の宮子は文武天皇のきさきになり、光明子は聖武天皇の皇后にまで上りつめました。国の基礎が築かれ、1300年後のい…

東大寺/夜の大仏殿 夜陰に威容を誇る大建築。仏教に活路を見いだし大国たらんとして踏ん張った勢いがいまだにありました。

激しく揺れ動いた天平時代に聖武天皇は即位し、藤原不比等の後ろ盾によって国のかたちを整えていきました。しかし不比等は志なかばで逝ってしまいます。その空白を埋めたのは詰まるところ仏教でした。厩戸皇子が仏教に着目してから、およそ150年後のこと…

東大寺/手向山八幡宮 大仏さまの鎮守社。渡来した仏と日本の神が蝉時雨のなかで手をたずさえています。

法華堂のすぐ隣にある神社です。さまざまな伽藍が取りまく境内の丘にあり、大仏殿と若草山にはさまれてひっそりとしています。ちょっと異質なものが混じっている気分にさせられますが、興福寺に対する春日大社のような存在です。世界には、いがみあう信仰も…

東大寺/朝に歩けば。柔らかな光がゆっくりと射してきます。叙事詩の舞台の幕開けのようといえば大袈裟か。

天が広いことは知っていても、その広がりを実感させるところはなかなかあるものではないでしょう。東大寺の朝は絵に描いたような壮観な風景を見せてくれます。雑音は耳に届かず、雑念はどこか遠くへ。原生の裏山で鴉がかぁと鳴きました。 1300年という時…

なら燈火会/蝋燭の灯が揺れています。夏たけなわ。見なれない灯りの行列に暑さを忘れていきます。

猿沢池から興福寺を東に抜けると博物館の広場に出ます。さらに浮雲園地から東大寺へとまわります。さいごに浅茅ヶ原から浮見堂へと向かいます。奈良公園の輪郭をなぞるような散歩コースですが、夏のひとときだけ、一帯は蝋燭の灯りに照らされていつもと違う…

興福寺 夏の朝/酷暑の夏とはいえ、朝まだき、微かな風が清々しい。若々しい僧侶の般若心経が聞こえてきました。

どうしたことか凄まじい猛暑の日々が続いています。不要不急の外出を控えるようにと天気予報。それでも東から太陽が昇る頃、興福寺の境内では束の間の静けさとともに爽やぐ風が吹いていました。日課なのでしょう、若い僧侶三名が境内をまわり般若心経を唱え…

元興寺の夏/もとは蘇我馬子の本格派寺院。飛鳥時代の瓦ばかりか、空海が起居し仏法を学んだ僧坊も残っています。

飛鳥にあった法興寺(現在の飛鳥寺)がルーツです。蘇我家の没落もあって、平城遷都に伴い官寺として奈良にやって来ました。そして元興寺と名をあらため興隆しましたが、土一揆の火災で大部分が消失し寺域がぐんと小さくなってしまいました。東大寺や興福寺…

東大寺/室町時代末期の大風で倒壊した西大門。江戸の火事で焼けてしまった中門。近くに聖武天皇ゆかりの御拝壇がありました。

みとりい池の北側に礎石だけの西大門跡があります。さらに北に向かえば中門(焼け門ともいう)、そして転害門となります。いまでこそ南大門の方が東大寺の正面になっていますが天平時代はこちらの方が表だったように思われます。二条大路につながっていた中…

法華寺/藤原不比等の邸宅跡。娘の光明皇后が相続し総国分尼寺としました。裏庭に歩を進めれば平城宮の庭園に迷い込むようです。

天皇の住まいであった平城宮につけ足すようにして隣接しています。はて面妖なとおもいきや、藤原不比等の邸宅であったと聞きおよび納得しました。娘の光明皇后がもらい受けて尼寺にしたというのですから格が違います。どこを見ても品のある佇まいはそうした…

佐紀 梅雨時のこと/空気をつかめば水が滴ってくるような日々でしたが、鳥も、昆虫も、花もいきいきしていました。

佐紀の古墳や水上池で目に触れるもの、思いのほか活力にあふれていました。すこし前に楽しんだモネの池はさらに色が濃くなり、見わたす限りしっとりとした風景が広がっていました。葉っぱも花びらも肉厚になったようでした。 昆虫はせわしそうに動き回り、鳥…

奈良の道/古代びとの足音が聞こえるよう。万葉びとの歌が響くよう。1300年の遺産がいたるところに堆積しています。

ひとくちに奈良といっても、北と南では顔つきが違っています。南の飛鳥や吉野は国づくりの黎明期という感じがします。北は国の体裁が整いつつある時期に都市が形成されました。東の山辺や西の葛城あたりになると南北よりももっと古い土着的な要素を見ること…

奈良町と周縁/降りみ降らずみの梅雨の散歩。木々を渡ってくる風はしっとりとして鈍い光さえ風景に和しています。

奈良町には1300年前の道が東西南北に走っています。細く、くねくねと、上がったり下がったり。まっすぐに見えるところでも凝視してみれば左へ右へと微妙にぶれています。なんともいえない味わいがあって趣深い。今どきこんな所ちょっとない。ああ、きっ…

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