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奈良のアラカルト=ナラカルトは奈良の観察記録です。

古代の風景

秋篠寺/奈良の苔寺。日常をすこし離れて苔青し。往時の大寺院もいまはひっそりしています。

西大寺の北に秋篠寺はあります。昔日には寺領を争った間柄というほどですから、いかに大きな寺院であったのかわかります。奈良の多くの寺がそうであるように、歴史のうねりに翻弄され、秋篠寺も火災によって規模を縮小せざるを得ませんでした。金堂や東西の…

奥飛鳥 栢森(かやのもり)/飛鳥川がはじまります。吉野への街道が貫いています。栢森は宿場町として栄えました。

天が近くなり稲が谷間を埋めつくしています。狭いところなのに窮屈さがありません。 手谷川と行者川が合流して飛鳥川となります。下流の稲渕に比べれば小規模ですが、飛鳥川の水を利用した細くて長い田んぼが山間に連なります。念入りな仕事ぶりで稲はすくす…

奥飛鳥 飛鳥川にそって/古代からあった飛び石。向こう側に渡るのは待っている人がいるからです。

稲渕集落に入るところに男綱が掛け渡っていました。ここの神事は神式で行われます。栢森(かやのもり)に入るところに女綱が掛け渡っていました。ここの神事は仏式で行われます。飛鳥川でつながっている村の神仏習合はいとおかし。 稲渕の上流に栢森はありま…

奥飛鳥 稲渕集落/蘇我家打倒の気運が高まり謀議はここ稲渕で。入鹿の暗殺を経て国家の体裁は整えられていきました。

奥飛鳥の入り口に蘇我馬子の古墳と推定されている石舞台があります。そこから少し南下すると稲渕の集落ですが、その途中にきわめて珍しいピラミッド型の古墳があります。これは蘇我稲目のものと比定されています。勢力の強さを物語っていますがそれだけに反…

春日大社 奥の院道/本殿の南東のどんづまりに紀伊神社(奥の院)。鬱蒼とした森を縫って小道が続きます。

三条通の東の端にある一の鳥居をくぐれば、高木の枝が頭上をおおい、夏の日照りをさえぎってくれます。木々を渡ってくる風は涼やかで、夏の散歩にはこの上なく贅沢なコースになります。朝が早いほどさわやかですが、昼日中でもさして苦にならない道のりです…

東大寺 鐘楼/建造物は鎌倉期、釣り鐘は奈良時代。口径270センチ、重さ37トン。実験的で、ユニーク。

重源亡き後、栄西が大勧進として工夫に工夫を重ねて再建したようです。京都の建仁寺を創建した直後のことです。それまでにない様式であり、その後にも引き継がれることのなかった様式です。禅寺の建築様式のパイオニアとなった栄西ですが、おそらくこの鐘楼…

山辺の道 内山永久寺/1000年の歴史を誇った大寺院。明治に露と消えました。

東大寺、興福寺そして法隆寺に次ぐ格の高さを誇っていました。いくつもの堂宇がならび、子院も多くあったといわれています。特別の格を持った大寺院でした。しかし明治の廃仏毀釈のときに廃寺となり、浄土式庭園にあった池だけが残りました。なんとも悲しい…

春日大社/桂昌殿 綱吉の生母、桂昌院。春日大社ばかりか法隆寺も唐招提寺も復興し奈良を蘇生させました。

巷間伝えるところによれば、桂昌院は京都の八百屋の娘であったといわれています。あれよという間に大奥にまで上り詰め、ついには5代将軍綱吉を懐妊。ここまではとんとん拍子でしたが、大奥にはライバルも多く、陰湿ないじめにあっていたとか。その時の桂昌…

山辺の道/纏向(まきむく)はヤマト政権発祥の地。どこを見わたしても古代が色濃く縁取られています。

纏向は弥生時代から古墳時代にかけての都市だったとか。農耕具がほとんど出土せずに、土木工事の工具ばかりが出てくるそうです。この国に自生しないベニハナの花粉が確認され染色用であったと推測されています。となれば渡来人の高度な技術がここにあったと…

法隆寺/夢殿 斑鳩宮に住んだ聖徳太子。ここは難波と飛鳥のまんなか。軍事と交通の要衝でした。

聖徳太子が仏教に熱心であったことは誰しもが認めるところです。蘇我馬子とともに政治の混乱を収拾していきましたが、理念のなかに仏教の教えが取り込まれていました。四天王寺をはじめとする数々の寺院を建立したのもその現れでしょう。そのとき、この国の…

東大寺/梅雨晴れの朝 大仏殿裏手の木々を渡ってくる風は瑞々しい。行基も重源もこの空気を味わったに違いない。

お水取りと言われる修二会では神名帳を読誦しますが、はじめに読み上げられるのは金峯山寺の蔵王権現です。金峯山寺とは修験道の開祖と伝えられる役行者が創立した寺であり、蔵王権現とは吉野の山で修行中に感得した釈迦如来の化身です。 行基や重源のみなら…

東大寺/二月堂 つゆどき 薄暮 昼間の喧噪はどこへやら

夕方の東大寺。 梅雨時ともなれば人気が急に無くなっていきます。 あたりの風景は静けさを広げていきます。 贅沢なひととき。 なにか特別のことがあるわけでもないのに一日の疲れが薄らいでいきます。 山々に囲まれた奈良が薄暮の中に沈み込んでいくようでし…

東大寺 法華堂/西の正堂は天平時代。東の礼堂は鎌倉時代。合体して一つ屋根の下にいる。重源、してやったり。

転害門と並び、法華堂は東大寺最古の建造物といわれています。正確には西の正堂だけが対象ですが、重源によって鎌倉時代に付け足された東の礼堂となんの違和感もなく繋がっています。正堂は柔らかく、礼堂は硬い。にもかかわらず初めから計算された混成のデ…

旧柳生街道/柳生十兵衛に新陰流の手ほどきをうけるため剣豪が行き来しました。宮本武蔵も荒木又右衛門も!

春日大社の脇から柳生街道ははじまります。すぐさま現代を見失ってしまうような原生の森の中へ。往時にタイムスリップしてしまった感覚に襲われます。剣豪の里を目ざして若き宮本武蔵もここを歩いたかと思うと、ちょっと不思議な気分。いつしか肩で風を切っ…

畝傍山/孤高を持するものの、山というべきか、丘というべきか。神が降臨するいただきへ。

大和三山の一つである畝傍山は200メートルに満たない山です。決して高いとはいえない存在であるのになぜか低さを感じません。古代人にとって聖地であったせいか、原生の森となり、いまもって神々しい姿を見せてくれます。その昔、霊験あらたかな地にあや…

宇陀松山(2)/古代、阿騎野と呼ばれた地。貴族の狩猟場です。男は獣を追い、女は薬草を摘む。薬園は名残です。

宇陀にゆかりのある大手の薬品会社がいくつかあると聞きおよびました。もとはといえば葛粉の製造からはじまっています。山野に自生するマメ科の蔓の根から葛粉を作りますが、その根は漢方の葛根(かっこん)にもなるそうです。風邪薬としての葛根湯といえば…

宇陀松山(1)/そぞろ歩いてみれば、まるでキリコの絵の世界。謎めいた静寂感がありました。

宇陀松山の旧市街に降り立ったそのとき、中枢神経系のなにかが機能しなくなってしまいました。すさまじく青い空と、乾ききった空気。目の前にはまさしくキリコの絵画と思われる世界が広がりあらわれていました。現実のはずなのに、現実と感じられない奇妙さ…

紀州和歌山 湯浅/蜜柑、金山寺味噌、醤油、熊野古道、紀伊国屋文左衛門、明恵上人。そして西方浄土。

奈良にとって熊野は特別な場所です。そしてその向こうの海に思いを馳せています。伊勢や那智がありますが湯浅を忘れるわけにはいきません。 湯浅は熊野古道の中間で和歌山県海沿いの北部に位置します。山の斜面はほぼ蜜柑畑。有田みかんの産地です。もう一つ…

東大寺 山陵祭/オープンエアのアカペラ。新緑に声明が響き渡ります。

聖武祭の翌日のこと。東大寺一山の僧侶は佐保山御陵に向かいました。 聖武天皇が祀られています。深く頭を垂れ参拝する。声明が空に舞う。かくも荘厳な響きがあっただろうかと感慨深いものがありました。 声明声は陵の青青と茂った木々に向けられます。すべ…

東大寺 聖武天皇祭/いかに、いかにと法要は進む。論議法要というもので掛け合いが行われていました。

生前に天皇を譲位した聖武天皇はその当時としては思い切ったことをしました。出家し、天下の安泰を祈ることをなによりも優先させたといわれています。大仏さまが奈良に誕生したのもその結晶です。 鑑真を招聘したのも聖武天皇でした。日本に初めての戒壇院が…

佐紀/古墳を取りまく、その色合い、その深さ、その光。まるでラファエル前派の絵を見ているようです。

デジャビュというべきか。どこかで見たことのあるような光と影が目に染みます。美しき水面にオフィーリア・・・。「ハムレット」の象徴的な一場面を描いたジョン・エヴァレット・ミレーの絵画がここに表出したようです。19世紀の英国の画家が求めた風景。…

吉野/役行者の桜、金峯山寺の柱、吉野水分神社の格式、西行の草庵、陀羅尼助丸の大蛙。いやはや、いやはや。

吉野といえば役行者。修験道の開祖であり、山伏の始祖であり、山岳信仰のルーツです。その役行者が吉野の山中で金剛蔵王権現を感得し、その姿を桜の木に彫り刻みました。このときから桜は特別の存在となり、ご神木となり、信徒たちによって競って植えられた…

安倍文殊院/快慶の渡海文殊群像。特別史跡の西古墳。創造することのなんたるかを学ぶ。

奈良博物館の快慶展では巨大な写真でしか拝見できない渡海文殊群像。じっさいに拝見するには安倍文殊院まで出向くしかありません。 快慶の天才ぶりがほとばしっていました。鎌倉時代に東大寺が再建される前の造立です。渡海文殊の清然とした顔つき、善財童子…

唐招提寺/律する。鑑真はこの一言のために東の小さな国に渡ってきた。筆舌に尽くせぬ苦難。ついには盲目となる。

整然と天平の伽藍が並んでいます。ことさらになにかを主張するわけでもなく、とりたててなにかを押しつけることもない。にもかかわらず、どこか凛としています。律するとはこういうことかと感服の至りです。 金堂におわす三体の仏像は穏やかな表情を見せなが…

海龍王寺/堂内に五重塔のひながたが鎮座する。まるごとの天平の遺構。創建当時からここを動かないでいる。

天平という時代、仏像ばかりではなく、建築文化も爛熟していました。西金堂に据え置かれている模型の五重塔。天平時代からのもので、細部にわたって知恵と熱情を傾けた痕跡があります。 堂内を見わたせば、西金堂そのものも天平の構造様式を見せてくれます。…

新薬師寺/修二会  尾を引いて猛る炎やお松明

歴史的に東大寺と深い関わりがある新薬師寺ですが、お水取りの修二会とはおもむきが違っていました。僧侶や童子の顔つきまではっきりと分かる距離にあって薬師悔過法要は営まれます。 夕闇迫る頃、声明が聞こえてきます。読経が音楽のようです。 インドが発…

稗田環濠集落/群雄割拠の戦国時代がタイムスリップしている。意表を突く存在。痛快なほどです。

大和郡山の東。長閑な田園地帯に大きな環濠を巡らした集落があります。土壁や石垣の代わりに濠を用いて外敵の攻撃から集落を守ったのです。灌漑用水としての働きもあったようです。水面に映る空はすがすがしいものですが、激しく争いあった人間の愚かさも湛…

春日大社と原生林/山ぼめという古代信仰。神々は木々に隠れるようにして鎮座している。

万葉集の和歌には「清」という文字がさかんに使われています。穢れのない「清」のある山は特別の存在でした。清き山をほめることにより、あらたな生命力を与えてもらうのです。 その昔、山はたんなる自然ではなく、信仰と深く結びつき呪力をつけるにふさわし…

暗峠(くらがりとうげ)/最後の旅となった芭蕉の足跡を追って

南北に細長くのびる生駒山の真ん中あたりの低いところが暗峠。奈良と大阪を結ぶ山越えの近道が走っています。 大阪へ向かう道すがら伸びやかな棚田が広がります。ところどころ風雨に洗われて少しのっぺりしてしまった地蔵が迎えてくれます。元禄時代からなに…

11 東大寺 二月堂 お水取り/満行

終わりを全うして練行衆は結束をとかれます。 それぞれの顔にやり遂げた者だけが見せる逞しい境地を浮かべています。 鋭い目つきのなかに優しさがにじんでいます。 練行衆のからだから立ち上る気は天を衝くかのよう。 自坊に去りゆく練行衆は足を一つ運ぶご…

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