nalacarte

奈良のアラカルト=ナラカルトは奈良の観察記録です。

登大路 日吉館を懐かしむ/貧乏学生の泊まれる宿。いちどはすき焼きを馳走に。名だたる文化人の定宿でもありました。

会津八一も、和辻哲郎も、小林秀雄も、土門拳も、平山郁夫も、貧乏学生の磯崎新もここを足がかりに奈良を巡っていました。雑魚寝しかできない部屋があるのみ。それでも寄り集まっていました。寝坊しては怒られもしましたが女将さんの悪口を言う者は一人とし…

春日大社 奥の院道/本殿の南東のどんづまりに紀伊神社(奥の院)。鬱蒼とした森を縫って小道が続きます。

三条通の東の端にある一の鳥居をくぐれば、高木の枝が頭上をおおい、夏の日照りをさえぎってくれます。木々を渡ってくる風は涼やかで、夏の散歩にはこの上なく贅沢なコースになります。朝が早いほどさわやかですが、昼日中でもさして苦にならない道のりです…

東大寺 鐘楼/建造物は鎌倉期、釣り鐘は奈良時代。口径270センチ、重さ37トン。実験的で、ユニーク。

重源亡き後、栄西が大勧進として工夫に工夫を重ねて再建したようです。京都の建仁寺を創建した直後のことです。それまでにない様式であり、その後にも引き継がれることのなかった様式です。禅寺の建築様式のパイオニアとなった栄西ですが、おそらくこの鐘楼…

山辺の道 内山永久寺/1000年の歴史を誇った大寺院。明治に露と消えました。

東大寺、興福寺そして法隆寺に次ぐ格の高さを誇っていました。いくつもの堂宇がならび、子院も多くあったといわれています。特別の格を持った大寺院でした。しかし明治の廃仏毀釈のときに廃寺となり、浄土式庭園にあった池だけが残りました。なんとも悲しい…

春日大社/桂昌殿 綱吉の生母、桂昌院。春日大社ばかりか法隆寺も唐招提寺も復興し奈良を蘇生させました。

巷間伝えるところによれば、桂昌院は京都の八百屋の娘であったといわれています。あれよという間に大奥にまで上り詰め、ついには5代将軍綱吉を懐妊。ここまではとんとん拍子でしたが、大奥にはライバルも多く、陰湿ないじめにあっていたとか。その時の桂昌…

山辺の道/纏向(まきむく)はヤマト政権発祥の地。どこを見わたしても古代が色濃く縁取られています。

纏向は弥生時代から古墳時代にかけての都市だったとか。農耕具がほとんど出土せずに、土木工事の工具ばかりが出てくるそうです。この国に自生しないベニハナの花粉が確認され染色用であったと推測されています。となれば渡来人の高度な技術がここにあったと…

法隆寺/夢殿 斑鳩宮に住んだ聖徳太子。ここは難波と飛鳥のまんなか。軍事と交通の要衝でした。

聖徳太子が仏教に熱心であったことは誰しもが認めるところです。蘇我馬子とともに政治の混乱を収拾していきましたが、理念のなかに仏教の教えが取り込まれていました。四天王寺をはじめとする数々の寺院を建立したのもその現れでしょう。そのとき、この国の…

奈良少年刑務所/明治41年の赤煉瓦建築。西洋の様式を模倣。近代化した日本の象徴として世界に提示されました。

日清、日露戦争に勝利したものの、当時の日本は不平等条約のもと三等国の位置づけでした。そんな馬鹿なことがあるものかとの声が日増しに強くなっていきました。そこで一計を案じ、西洋の列強と対等に渡り合えることを誇示しようということになりました。法…

東大寺/梅雨晴れの朝 大仏殿裏手の木々を渡ってくる風は瑞々しい。行基も重源もこの空気を味わったに違いない。

お水取りと言われる修二会では神名帳を読誦しますが、はじめに読み上げられるのは金峯山寺の蔵王権現です。金峯山寺とは修験道の開祖と伝えられる役行者が創立した寺であり、蔵王権現とは吉野の山で修行中に感得した釈迦如来の化身です。 行基や重源のみなら…

佐紀 磐之媛命陵/モネの睡蓮とまがうばかりの風景。濠に幻想が満ちています。

印象派の巨匠クロード・モネは、自邸の池に浮かぶ睡蓮の花をこよなく愛しました。庭そのものが最高傑作であると自負するほど花の池と水の池にぞっこん惚れていました。そして睡蓮をモチーフにして多彩に描いてみせました。浮世絵をこよなく愛したモネは、色…

斑鳩/尼門跡 中宮寺 尊皇攘夷を標榜した天誅組の伴林光平(侍講)と佐々木信重(侍医)が出入りしていました。

斑鳩の隣町である安堵町。ここに安堵社中というサロンがありました。国学や和歌だけではなく、幕末の風雲急を告げた時勢を論じあっていたそうです。伴林や佐々木が中宮寺の門跡に相通じる思想を持っていたことは想像に難くありません。法隆寺の境内を歩きな…

安堵町/中家 環濠住宅 豪壮 群雄割拠の跡形がそこここに刻まれていました。

希少ということばでは物足りない。くまなく往時のまま。よくぞここまで保ってきたものだと感心することしきり。天災もあり、人災もあったはず。運命のしからしめるところとはいえ、これほどまでに欠点も不足もないとなればことばを失うのみ。 中世のものが特…

東大寺/二月堂 つゆどき 薄暮 昼間の喧噪はどこへやら

夕方の東大寺。 梅雨時ともなれば人気が急に無くなっていきます。 あたりの風景は静けさを広げていきます。 贅沢なひととき。 なにか特別のことがあるわけでもないのに一日の疲れが薄らいでいきます。 山々に囲まれた奈良が薄暮の中に沈み込んでいくようでし…

東大寺 法華堂/西の正堂は天平時代。東の礼堂は鎌倉時代。合体して一つ屋根の下にいる。重源、してやったり。

転害門と並び、法華堂は東大寺最古の建造物といわれています。正確には西の正堂だけが対象ですが、重源によって鎌倉時代に付け足された東の礼堂となんの違和感もなく繋がっています。正堂は柔らかく、礼堂は硬い。にもかかわらず初めから計算された混成のデ…

旧柳生街道/柳生十兵衛に新陰流の手ほどきをうけるため剣豪が行き来しました。宮本武蔵も荒木又右衛門も!

春日大社の脇から柳生街道ははじまります。すぐさま現代を見失ってしまうような原生の森の中へ。往時にタイムスリップしてしまった感覚に襲われます。剣豪の里を目ざして若き宮本武蔵もここを歩いたかと思うと、ちょっと不思議な気分。いつしか肩で風を切っ…

今井町/戦国時代の環濠集落。一向宗の武装都市。江戸の町かくやあらん。

近世以前の町並みが残っています。江戸時代から続いているような建造物群が幾筋もあります。ちょっとあるという規模ではありません。16世紀と変わらぬ道筋が縦横に貫いているのです。奇跡的な景観。江戸の町のありさまが肌で伝わってきます。 大和の金は今…

円成寺/武士の情けで仏像は残りました。運慶の初めての仏像がふくよかな顔をして鎮座しています。

応仁の兵火が円成寺に放たれると知り、とある武士が裏切り行為でありながら極秘に耳打ちしに来たそうです。僧侶らは慌てて仏像を避難させました。火を放つ武士も人の子、仏像まで焼かれてしまうことを嫌ったということでした。地獄におちる恐怖心があったの…

神武天皇陵/古墳らしからぬ古墳。音もせず、風も吹かず、ただ太陽の光が射していました。

橿原神宮の北に畝傍山があり、そのまた北に連なるように神武天皇陵は位置しています。こんもりとした木々に囲まれるようにして三者は一体となって存在しています。紀元前660年のこと、記紀が伝える第一代の神武天皇は橿原で即位しました。日本のはじまり…

畝傍山/孤高を持するものの、山というべきか、丘というべきか。神が降臨するいただきへ。

大和三山の一つである畝傍山は200メートルに満たない山です。決して高いとはいえない存在であるのになぜか低さを感じません。古代人にとって聖地であったせいか、原生の森となり、いまもって神々しい姿を見せてくれます。その昔、霊験あらたかな地にあや…

橿原神宮/あっけらかんと空の青。なんとはなしに飛鳥時代を彷彿とさせる瞬間がありました。

橿原神宮を前にするとその新しさと飾り気のないさまに驚きます。柱や垂木に染みもなく、すべてに明るい感じです。古きものとなれば苔むしていることが多いものです。ここはそうしたものと無縁。すべてに透明感さえありました。 真新しい壮大な建造物は神のお…

Copyright(c)2016 Nalacarte.All Rights Reserved.