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奈良のアラカルト=ナラカルトは奈良の観察記録です。

寺院

慈光院(2)茶庭の風景/ありきたりの図面を引き裂いてしまったか。小さな茶庭も、天に連なる茶庭も設えてあります。

禅によって茶道は完成しました。禅を会得した者だけが茶の湯の肝心を飲み干すことができると言います。ただ飲むばかりなりという利休のことばがありますが、まさしく禅の世界観です。片桐石州は禅のことばを身につけていたのでしょう。作庭に窮屈な思考があ…

慈光院(1)臨済宗大徳寺派/土木普請奉行として知恩院の修復などを手がけた片桐石州の創建。端正な顔立ちです。

茶人としても名をなした片桐石州。大徳寺の名僧に参禅した大名だけに京都の文化に多大な影響を受けています。大徳寺といえば茶道を抜きにして語ることはできません。小堀遠州とも交流があったようですから、茶の湯の世界にどっぷりとつかっていた姿が想像で…

法輪寺/三重塔 幸田文の勧進があってこその再建です。江戸っ子が斑鳩三塔の景観を取り戻しました。

幸田文は、三重塔(落雷によって焼失)再建に奔走する失意の住職と東京の出版社で運命的に出会いました。聞くうち、持ち前のおせっかいに火がつき勧進を決意しました。65歳から75歳になるまでの老人のふんばりでした。出せるものはすべてだし、着物がす…

西大寺/中興の祖に叡尊。弟子に忍性。天皇も、非人も、帰依したとか。荒廃していた西大寺は再興されました。

叡尊は貧民を救済することから仏教の教えを広めていきました。寺の運営の基本に社会事業をおきました。やがて弟子となった忍性はその在り方に強く感化され、叡尊の右腕となって社会事業に没頭しました。社会活動に熱を入れすぎて叡尊から戒められたという逸…

秋篠寺/奈良の苔寺。日常をすこし離れて苔青し。往時の大寺院もいまはひっそりしています。

西大寺の北に秋篠寺はあります。昔日には寺領を争った間柄というほどですから、いかに大きな寺院であったのかわかります。奈良の多くの寺がそうであるように、歴史のうねりに翻弄され、秋篠寺も火災によって規模を縮小せざるを得ませんでした。金堂や東西の…

東大寺 鐘楼/建造物は鎌倉期、釣り鐘は奈良時代。口径270センチ、重さ37トン。実験的で、ユニーク。

重源亡き後、栄西が大勧進として工夫に工夫を重ねて再建したようです。京都の建仁寺を創建した直後のことです。それまでにない様式であり、その後にも引き継がれることのなかった様式です。禅寺の建築様式のパイオニアとなった栄西ですが、おそらくこの鐘楼…

山辺の道 内山永久寺/1000年の歴史を誇った大寺院。明治に露と消えました。

東大寺、興福寺そして法隆寺に次ぐ格の高さを誇っていました。いくつもの堂宇がならび、子院も多くあったといわれています。特別の格を持った大寺院でした。しかし明治の廃仏毀釈のときに廃寺となり、浄土式庭園にあった池だけが残りました。なんとも悲しい…

法隆寺/夢殿 斑鳩宮に住んだ聖徳太子。ここは難波と飛鳥のまんなか。軍事と交通の要衝でした。

聖徳太子が仏教に熱心であったことは誰しもが認めるところです。蘇我馬子とともに政治の混乱を収拾していきましたが、理念のなかに仏教の教えが取り込まれていました。四天王寺をはじめとする数々の寺院を建立したのもその現れでしょう。そのとき、この国の…

東大寺/梅雨晴れの朝 大仏殿裏手の木々を渡ってくる風は瑞々しい。行基も重源もこの空気を味わったに違いない。

お水取りと言われる修二会では神名帳を読誦しますが、はじめに読み上げられるのは金峯山寺の蔵王権現です。金峯山寺とは修験道の開祖と伝えられる役行者が創立した寺であり、蔵王権現とは吉野の山で修行中に感得した釈迦如来の化身です。 行基や重源のみなら…

斑鳩/尼門跡 中宮寺 尊皇攘夷を標榜した天誅組の伴林光平(侍講)と佐々木信重(侍医)が出入りしていました。

斑鳩の隣町である安堵町。ここに安堵社中というサロンがありました。国学や和歌だけではなく、幕末の風雲急を告げた時勢を論じあっていたそうです。伴林や佐々木が中宮寺の門跡に相通じる思想を持っていたことは想像に難くありません。法隆寺の境内を歩きな…

東大寺/二月堂 つゆどき 薄暮 昼間の喧噪はどこへやら

夕方の東大寺。 梅雨時ともなれば人気が急に無くなっていきます。 あたりの風景は静けさを広げていきます。 贅沢なひととき。 なにか特別のことがあるわけでもないのに一日の疲れが薄らいでいきます。 山々に囲まれた奈良が薄暮の中に沈み込んでいくようでし…

東大寺 法華堂/西の正堂は天平時代。東の礼堂は鎌倉時代。合体して一つ屋根の下にいる。重源、してやったり。

転害門と並び、法華堂は東大寺最古の建造物といわれています。正確には西の正堂だけが対象ですが、重源によって鎌倉時代に付け足された東の礼堂となんの違和感もなく繋がっています。正堂は柔らかく、礼堂は硬い。にもかかわらず初めから計算された混成のデ…

円成寺/武士の情けで仏像は残りました。運慶の初めての仏像がふくよかな顔をして鎮座しています。

応仁の兵火が円成寺に放たれると知り、とある武士が裏切り行為でありながら極秘に耳打ちしに来たそうです。僧侶らは慌てて仏像を避難させました。火を放つ武士も人の子、仏像まで焼かれてしまうことを嫌ったということでした。地獄におちる恐怖心があったの…

正暦寺/神の酒は中世になって我らのもとへ。鎌倉時代にはじめて市井の人々の晩酌が始まりました。

古代において酒は宗教や儀式と密接に結びついていました。信仰と関係なく、一人ぽつねんと一献かたむける習慣が生まれたのは鎌倉時代になってからです。栄枯盛衰は世の常というべきか、権力側の衰退がはじまると、権力者に付きしたがっていた酒造りの専門家…

東大寺 山陵祭/オープンエアのアカペラ。新緑に声明が響き渡ります。

聖武祭の翌日のこと。東大寺一山の僧侶は佐保山御陵に向かいました。 聖武天皇が祀られています。深く頭を垂れ参拝する。声明が空に舞う。かくも荘厳な響きがあっただろうかと感慨深いものがありました。 声明声は陵の青青と茂った木々に向けられます。すべ…

東大寺 聖武天皇祭/いかに、いかにと法要は進む。論議法要というもので掛け合いが行われていました。

生前に天皇を譲位した聖武天皇はその当時としては思い切ったことをしました。出家し、天下の安泰を祈ることをなによりも優先させたといわれています。大仏さまが奈良に誕生したのもその結晶です。 鑑真を招聘したのも聖武天皇でした。日本に初めての戒壇院が…

吉野/役行者の桜、金峯山寺の柱、吉野水分神社の格式、西行の草庵、陀羅尼助丸の大蛙。いやはや、いやはや。

吉野といえば役行者。修験道の開祖であり、山伏の始祖であり、山岳信仰のルーツです。その役行者が吉野の山中で金剛蔵王権現を感得し、その姿を桜の木に彫り刻みました。このときから桜は特別の存在となり、ご神木となり、信徒たちによって競って植えられた…

安倍文殊院/快慶の渡海文殊群像。特別史跡の西古墳。創造することのなんたるかを学ぶ。

奈良博物館の快慶展では巨大な写真でしか拝見できない渡海文殊群像。じっさいに拝見するには安倍文殊院まで出向くしかありません。 快慶の天才ぶりがほとばしっていました。鎌倉時代に東大寺が再建される前の造立です。渡海文殊の清然とした顔つき、善財童子…

唐招提寺/律する。鑑真はこの一言のために東の小さな国に渡ってきた。筆舌に尽くせぬ苦難。ついには盲目となる。

整然と天平の伽藍が並んでいます。ことさらになにかを主張するわけでもなく、とりたててなにかを押しつけることもない。にもかかわらず、どこか凛としています。律するとはこういうことかと感服の至りです。 金堂におわす三体の仏像は穏やかな表情を見せなが…

海龍王寺/堂内に五重塔のひながたが鎮座する。まるごとの天平の遺構。創建当時からここを動かないでいる。

天平という時代、仏像ばかりではなく、建築文化も爛熟していました。西金堂に据え置かれている模型の五重塔。天平時代からのもので、細部にわたって知恵と熱情を傾けた痕跡があります。 堂内を見わたせば、西金堂そのものも天平の構造様式を見せてくれます。…

奈良公園の桜/とくとご覧あれ。ちらほらと花やかにあちこちにひらひらと。

奈良の桜といえば真っ先に吉野を思い浮かべるかも知れませんが、どっこい、奈良公園もなかなかのものです。派手さよりも艶やかさ。量感よりも質感。寺院の門前や池の端の桜はうっとりとした表情を見せています。 ならまちから奈良公園へ。その道すがら、途切…

新薬師寺/修二会  尾を引いて猛る炎やお松明

歴史的に東大寺と深い関わりがある新薬師寺ですが、お水取りの修二会とはおもむきが違っていました。僧侶や童子の顔つきまではっきりと分かる距離にあって薬師悔過法要は営まれます。 夕闇迫る頃、声明が聞こえてきます。読経が音楽のようです。 インドが発…

岩船寺/隅鬼棲む山寺 木もれ日と蕾と鳥のさえずりと

中世、南都(奈良)は乱れがちだったといいます。 秩序の崩れた都市を嫌って山に籠もる僧が出てくるのは自然なこと。 清浄な修行の場を必要としていたのです。 岩船寺の起点もそこから。 どうりで町のなかにある寺院とは風姿が違っています。 山の精霊が守っ…

浄瑠璃寺/陽春 春の花咲きほこりたる浄土かな

1000年前の平安時代は末法に入った時代。 釈尊の教えもゆらぎ、争いごとが絶えなくなると広く喧伝されました。 そんなときに浄瑠璃寺は創建。 僧侶の戒律を厳しく修めて不遜な時代に対峙しました。 浄瑠璃とは澄みきった世界のことだそうです。 浄瑠璃寺…

11 東大寺 二月堂 お水取り/満行

終わりを全うして練行衆は結束をとかれます。 それぞれの顔にやり遂げた者だけが見せる逞しい境地を浮かべています。 鋭い目つきのなかに優しさがにじんでいます。 練行衆のからだから立ち上る気は天を衝くかのよう。 自坊に去りゆく練行衆は足を一つ運ぶご…

10 東大寺 二月堂 お水取り/しりつけ松明

お水取りの最後を飾る「しりつけ松明」。 前の童子の尻に火がつくほどの近い距離で上がることからそう呼ばれています。 一列に並ぶさまは大団円を迎えるにふさわしい。 荘厳さもさることながら華やかさがなんともいえず 胸の内をほわっと明るくしてくれます…

9 東大寺 二月堂 お水取り/達陀(だったん)

達陀(だったん)とは聞き慣れないことば。 それもそのはずサンスクリット語で焼き尽くされる意とか。 またしても火の行法。 堂内に侵入しようとする鬼を松明によって退治する。 お水取りを始めとするきわめて崇高な儀式と違い、どこか愉快。 見る者の緊張を…

8 東大寺 二月堂 お水取り/籠松明と「お水取り」

籠松明は12日目にあげられる特別のものです。 この日は修二会(しゅにえ/お水取りの正式名称)の頂点をきわめる日となります。 深夜にお水取りと言われる由縁になった「お水取り」が行われます。 籠松明は普段のお松明よりも大きく、夜空を焦がさんばかり…

7 東大寺 二月堂 お水取り/童子がいてこそ

お水取りとは正式に「十一面悔過」(じゅういちめんけか)といいます。 二月堂本尊の十一面観世音菩薩に因んでいます。 仏教の根本には、 過ちは欲と怒りと無知によって引き起こされるものという解釈があります。 なるほど道理です。 しかしながら教わった真…

6 東大寺 二月堂 お水取り/お松明

お松明が現れると一斉に耳目をひき、 いまかいまかと待ち望んでいた人々から大きなどよめきが起こります。 闇のなかにうっすらと浮かび上がる回廊は舞台と化します。 人々の顔は赤く染まり、 うっとりとした表情を見せたかと思うと、 驚嘆と溜息の入りまじっ…

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