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奈良のアラカルト=ナラカルトは奈良の観察記録です。

建築

登大路 日吉館を懐かしむ/貧乏学生の泊まれる宿。いちどはすき焼きを馳走に。名だたる文化人の定宿でもありました。

会津八一も、和辻哲郎も、小林秀雄も、土門拳も、平山郁夫も、貧乏学生の磯崎新もここを足がかりに奈良を巡っていました。雑魚寝しかできない部屋があるのみ。それでも寄り集まっていました。寝坊しては怒られもしましたが女将さんの悪口を言う者は一人とし…

奈良少年刑務所/明治41年の赤煉瓦建築。西洋の様式を模倣。近代化した日本の象徴として世界に提示されました。

日清、日露戦争に勝利したものの、当時の日本は不平等条約のもと三等国の位置づけでした。そんな馬鹿なことがあるものかとの声が日増しに強くなっていきました。そこで一計を案じ、西洋の列強と対等に渡り合えることを誇示しようということになりました。法…

安堵町/中家 環濠住宅 豪壮 群雄割拠の跡形がそこここに刻まれていました。

希少ということばでは物足りない。くまなく往時のまま。よくぞここまで保ってきたものだと感心することしきり。天災もあり、人災もあったはず。運命のしからしめるところとはいえ、これほどまでに欠点も不足もないとなればことばを失うのみ。 中世のものが特…

宇陀松山(1)/そぞろ歩いてみれば、まるでキリコの絵の世界。謎めいた静寂感がありました。

宇陀松山の旧市街に降り立ったそのとき、中枢神経系のなにかが機能しなくなってしまいました。すさまじく青い空と、乾ききった空気。目の前にはまさしくキリコの絵画と思われる世界が広がりあらわれていました。現実のはずなのに、現実と感じられない奇妙さ…

海龍王寺/堂内に五重塔のひながたが鎮座する。まるごとの天平の遺構。創建当時からここを動かないでいる。

天平という時代、仏像ばかりではなく、建築文化も爛熟していました。西金堂に据え置かれている模型の五重塔。天平時代からのもので、細部にわたって知恵と熱情を傾けた痕跡があります。 堂内を見わたせば、西金堂そのものも天平の構造様式を見せてくれます。…

郡山城跡/秀吉、弟の秀長になにを急がせたのか。地蔵や墓石が石垣石になっている。

天守台を支えた石積みが天を仰ぐ。めくるめくような空の大きさ。郡山城跡は奈良にあって大内裏や古墳にも負けない威容を誇っています。にもかかわらず石積みは滑稽でもあり、切実でもあるのです。平城宮羅城門や西大寺七重塔の礎石まで使われています。寺の…

奈良女子大学。「明治の女傑いかにあらん」とつい口走ってしまう景観。女の踏ん張りはいまも続く。

奈良女子大学の前身は1908年(明治41年)に設立された奈良女子高等師範学校です。翌年には奈良ホテルが開業しました。西洋の列強に負けじと明治が躍動しています。のちにすぐさま大正モダニズムを迎えますが、モガといわれた女性たちの種はすでにここ…

奈良基督教会。数寄屋造り風の日本様式の屋根に十字架がのっている。和洋折衷きわまりて、はっとする。

仏教寺院の町にキリスト教の教会。土壁越しのすぐ向こうに興福寺の南円堂が見えています。それもそのはずもともとは興福寺境内だったそうです。まるで仏教とキリスト教が連なっているようです。 どこから見ても純和風の建造物。一瞬、興福寺の関連のものかと…

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