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nalacarte

奈良のアラカルト=ナラカルトは奈良の観察記録です。

9 東大寺 二月堂 お水取り/達陀(だったん)

お水取り 二月堂 古代の風景 寺院 東大寺

達陀(だったん)とは聞き慣れないことば。

それもそのはずサンスクリット語で焼き尽くされる意とか。

またしても火の行法。

堂内に侵入しようとする鬼を松明によって退治する。

お水取りを始めとするきわめて崇高な儀式と違い、どこか愉快。

見る者の緊張をじわりと解きほぐしてくれます。

鈴や錫杖の音に混じり法螺貝と太鼓の音も響く。

火は踊り、水が飛び散る。

演劇の原形を見せられたような気持ちになります。

 

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二月堂周辺は夜も更けてすっかり帳に包まれているというのに、堂内は打って変わって異常な熱気に包まれます。さしかけという名の下駄のような履物のカタカタカタカタという音がしつように繰り返され、闇を引きちぎらんばかりのかん高い響きをもって辺りの緊張を徐々に高めていきます。格子を通して見えるそれは紗の幕に映し出される練行衆のシルエット。漆黒のなかにいくつも揺れる炎はますます幻想的で、はっきりと見えないがゆえに想像をますますたくましくすることに。

ひとしきりの騒ぎの後、修験道のすがたをした男たちが数人堂内に現れます。紗を器用にくるむと、練行衆の姿と祭壇の輪郭が少しばかりはっきりとしてきます。暗さに目が慣れるころ、紗の取り払われた所にぽっかりとした空間が生み出されていることに気づきます。そこへとつぜん練行衆の一人が登場すると天井に向けて大きな桶いっぱいの水を放りあげます。虚を衝く感じです。恐怖を感ずるほどの音が内陣の奥まで達します。その興奮がさめやらぬうちに、別の練行衆がお松明のときと同じ大量の火の粉を天井へ向けてばらまきます。練行衆の一挙手一投足にぐいと引きつけられます。なにごとが起こるのかと釘付けになります。

堂内の興奮が最高潮に達してくると、鬼がとつぜん乱入してきます。鐘が激しくつかれ異変が起きたことを知らせています。練行衆は不意の悪者を追い出すために、鈴を鳴らし、錫杖を床にたたきつけ、法螺貝を吹き鳴らし、太鼓を間断なく激しく打ち鳴らします。度肝を抜かれた一瞬です。

その時です。内陣にあっては大きすぎるほどのお松明が鬼によって持ち込まれ、いくども大仰に振り回されます。なにもかもが焼き尽くされていくようです。落ちる火の粉はよもや火事になりはしないかと心配になるほどですが、手慣れた修験者たちによって迅速に片づけられていきます。そしてお松明は床に激しくたたきつけられ、すさまじい音とともに爆弾がさく裂したような大粒の火の粉を散乱させます。ひとしきり暴れたあと鬼は消えていきます。息をのむ瞬間ですが、これがまさしく激しく燃え上がる大団円というわけです。

 

シリアスな場面を想像されるかもしれませんが、すべての動きは滑稽ですみずみに渡って愉快な踊り仕立ての芝居になっています。場面転換には声明が響き、1000年前のミュージカルを鑑賞しているような気分になります。

十一面悔過ではお水取りを始めとする厳格な行事がいくつもありますが、この達陀もあわせての宗教行事です。狭い内陣で燃えさかるお松明の煙は目にしみます。しかし胸のうちにじわっと感じるものが広がってとても立ち去る気になりません。

 

さいごに練行衆は一列になって、小さな下り松明に導かれて下堂します。ちょうず、ちょうずと言いながら。ちょうず(手水)というのはトイレのこと。ちょっとトイレに行ってくるだけだからと鬼に聞こえるように言うのです。それは真っ赤な嘘。練行衆はそのまま参籠して寝てしまいます。しかしそれとは知らずに鬼は「なんだ、また戻ってくるのか」と勘違いをしてしまいます。ふたたび堂内に松明をもって乱入することは叶いません。

 

気高いのにおどけてもいる。さいごのさいごまで!

 

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