日清、日露戦争に勝利したものの、当時の日本は不平等条約のもと三等国の位置づけでした。そんな馬鹿なことがあるものかとの声が日増しに強くなっていきました。そこで一計を案じ、西洋の列強と対等に渡り合えることを誇示しようということになりました。法整備をはじめとしてやるべきことは多々ありましたが、具体的にこの監獄を世界に見せることで一流国であることを内外に示そうとしたのです。
監獄の国際標準化が先進国の証とは意外な感じがしますがそれには訳がありました。中央の看守所から収容棟が放射状にのびていますが、このスタイルこそが「パナプティコン」と呼ばれる監獄のシステムで、中央からすべての独房を監視することができるようになった初めてのアイデアでした。このシステムを持っていたのは西洋でも一部の先進国でした。
ナポレオン三世がパリを大改造しましたが、それがいまの放射状にのびたパリ市の姿です。まさにパナプティコンの考え方を取り入れたものです。敵の侵入をたやすく監視できるとともに味方の軍隊を効率よく配置できるといった構成です。理性に基づく理想主義都市。その近代性がこの奈良少年刑務所にも活かされたのです。
奈良少年刑務所は老朽化しその長い役割を終えました。近いうちにホテルに改装され新しい姿として蘇ります。