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奈良のアラカルト=ナラカルトは奈良の観察記録です。

柳本 茶人有楽斎/戦国時代を生き抜いてきた織田有楽斎は運の強い男です。柳本から桜井一帯を家康よりもらい受けました。

 

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有楽斎は織田信長の弟。本能寺の変の後、美濃へ逃げ、その後は豊臣家の大阪城に入りました。冬の陣、夏の陣で大阪城は落ちてしまいますが有楽斎は直前に城を離れまたもや生き延びました。関ヶ原の戦いで武勲を立てていたこともあって徳川家康は有楽斎を特別にあつかいました。大阪城からの離脱に目をつぶるばかりか大和の三万石を分けあたえたのです。茶人として生きることにした有楽斎は一万石を茶の世界への原資にあてました。残りの二万石は選ばれた二人の子どもに等分に分けあたえました。そのうちの一つが柳本です。茶人有楽斎の子孫らしく落ち着いた町並みを造りあげました。

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有楽斎と家康は戦国の波にもまれて育った幼なじみでした。深い信頼関係が培われたようでした。時代に翻弄されましたが最後にはまたしても家康によって生き延びることができました。晩年は茶人として生きることを決意し、柳本と桜井一帯の管理運営はふたりの子どもの手にゆだねました。

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有楽斎の茶室「如庵」は国宝として残っていますが、この命名はクリスチャンネームの「ジョアン」から来ているとか。厳しい時代の複雑な社会に生き抜いたことが忍ばれます。有楽斎の茶は有楽斎自身によって形が整えられました。死と隣り合わせで生きた武士の別格の茶道です。子孫らにその血統が引き継がれています。柳本の町は端整な顔立ちをしています。

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